2015年08月24日

NPO設立手続き短縮 超党派が改正案

24日朝刊2面【総合・政治】
 自民、民主、維新、公明、社民など超党派でつくる議員連盟は特定非営利活動促進法(NPO法)の改正案の骨子をまとめた。NPO法人の設立手続きを簡素化するため、事業計画や予算など申請書類を国民がチェックできる縦覧期間を2カ月から1カ月に短縮するのが柱。今国会での成立をめざす。
 NPOを設立するには、数カ月の手続き期間を要するため、期間短縮を要望する声が強かった。
 海外の組織への送金手続きも簡単にする。国内のNPOが集めた200万円を超えるお金を海外送金したり持ち出したりする場合、所管官庁に書類を事前に提出する規定があるが、これを削除する。


これからの日本は、役所でなくNPOなどの組織が社会的サービスを担うことになるという昨日のお話の続きですが、そのNPOの設立は非常に面倒なんですね。
会社であれば、定款を決めて資本金を証明し、法務局に登記するまで一週間もあれば十分です。
ところが、NPOとなると都道府県への申請と縦覧期間という余計な手続きがあるのです。
半ば公的な組織という建付けの為なんでしょう、しかしだからと言って役所が何かを担保してくれたり裏書してくれるわけでもなし、一体何のための手続きなのかが判然としてません。
しかし一方で、こうした手続きを経るにも関わらず、暴力団のフロント組織が入り込んだり、補助金を食い物するデタラメな団体が堂々と存在していたのも確かです。
結局、役所のお墨付きをどう考えるのかの違いでしょう。
もっと自由にさせて呉れというのか、お墨付きを盾に胡乱な輩が表に出る手助けをするのか、ここは難しい所です。
まだまだNPOの文化も歴史も浅く、そして社会からの認知も低いので、これからも手直しが必要だと考えます。
特に、NPOを支えているのが寄付なのですけど、寄付者への税額控除ができるのは「認定NPO」という制度のみなのです。
ところが、この「認定NPO」の条件が厳しく、ここも再考が必要ではないでしょうか。


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2015年08月23日

ポストバブル世代の発想生かそう

23日朝刊2面【総合】
 戦後まもなく生まれた団塊の世代がもうすぐ70歳になる。その子供たちにあたる1971年から74年に生まれた団塊ジュニア世代も、40歳を超えた。これからは高度成長やバブル景気を実感として知らない団塊ジュニア以下の人たちが、本格的に日本社会を引っ張る役回りを担うことになる。
 育った時代の違いが生む新しい発想や価値観を生かし、住みやすくて活気があり、満足度の高い社会をつくっていきたい。
 戦後の70年と重なる形で人生を歩んだ団塊世代には、集団就職や進学などで地方から大都市に上京した人も多い。狭い下宿やアパートを振り出しに、核家族を形成し借金をして郊外に庭付き一戸建てを建て、マイカーを購入した。
 年を追って日本は豊かになり、地価と給与の上昇を前提に人生を設計してきた。漫画やファッションなどの消費文化も若い団塊世代が主導した。こうした「主役感覚」は現在の50代も引き継いだ。
 40歳以下が育った環境は違う。社会に出るころには経済の停滞期が始まっており、若者が少数派となる中で青春期を過ごした。大都市やその近郊で生まれ育ち、親に個室を与えられた人も多い。上昇志向は薄くなった一方で、高齢化や地域の空洞化などの課題を目の当たりにして大きくなった。
 デジタル機器を使う技術にはたけている。小さいころから情報端末やネットになじんだ世代は、社会や企業に透明性を求め、人間関係も縦の関係より横のつながりや組織を超えた広がりを大事にするという調査結果もある。
 団塊世代のようなハングリー精神にはやや欠けるが、日本社会がこれから直面する課
題を自分のこととして認識している。1つの組織に漬かりきらず、複数のつながりの中で自分を最大限に生かす。そんな志向を、社会や企業もどんどん生かしていってはどうか。
 豊かさの中で育った世代は家や車を個人の社会的地位を示すものととらえ、憧れる気分が薄い。その結果、若い世代から共通の趣味や夢を持つ人、あるいは子育て中の家族などが一緒に住んで助け合う「シェアハウス」や、近所の人と車を共有し地域コミュニティーづくりにもつなげる「カーシェア」などのビジネスが育った。
 米国ではこうしたシェア文化の流れがネットとむすびつき、「空き部屋を持つ人と旅行者」や「車に乗りたい人と乗せたい人」をネットで仲介するサービスが誕生し急成長している。簡易なデジタル工作機を共有する会員制工作室の普及は、米国で草の根のものづくり文化を復活させつつある。


ポストバブルとは、デフレ時代と言ってもいいでしょう。
デフレになると、モノより貨幣を持っておいた方が良いという流動性選好になり、消費より貯蓄ということで、経済は縮小均衡に陥っていきます。
経済が成長しないのですから、誰もが借金や投資を嫌がり、それが更に経済のシュリンクを促すという悪循環です。
年金や生活保護など、国家が保証している定額的な給付者にとっては、物価がどんどん下がっていけば実質的な給付増になるのですからウェルカムな経済状態ですけど、一般の社会生活者は堪ったものではありません。

ポストバブル世代は、こうした時代に生まれ育ち、そして今の社会を担っています。
三つ子の魂百まで、と言われるように、ポストバブル世代の行動原理のどこかにデフレマインドがあるのではないか、そう捉えた方がいいでしょう。
高度成長時代は、マイホームを買うのに借金しても、借入金を完済する頃にはインフレによって、物価と比較して嘘みたいに低い額となっていました。
だから、誰もが借金できることをチャンスと捉えていたのに、ポストバブル世代はリスクと捉えている、このマインドの違いは大きいのだと思います。

一方、ボランティアなどは、上の世代では物好きのタダ働きとしてきた行為を意義あることだと教えられてきたのも、ポストバブル世代でしょう。
これはこれで大きな進化だと考えます。
国家が全てのリソースを配分し、国民はそれに乗っかっていればハッピーだったのが高度成長時代でしたけど、成熟国家となると安い税金と小さな政府を国民は求め、その代わりとして国民が主体となって社会を形成することになります。
つまり、役所がやってきた社会的サービスを今度は国民が担わなければ、小さな政府になんかならないのです。
そこで主体となるのが、企業だけでなくNGOやNPOという組織であり、国民も無償奉仕という形でもって、補完していくわけです。
その第一世代がポストバブル期に生まれたのも偶然でなく、必然だったのだと思います。
これは小さな政府と対をなすので、不可逆的なものです。
「発想を生かす」というより、そうならざるを得ない社会に向かっていると言っていいでしょう。
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2015年08月22日

南北の緊張に警戒怠れない

22日朝刊2面【総合】社説2
 韓国と北朝鮮の軍事的緊張が高まっている。北朝鮮軍は南北の軍事境界線に近い韓国側に砲弾を発射し、韓国軍も応射した。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は前線地帯を「準戦時状態」とし、軍部隊にいつでも戦闘可能な態勢をとるよう指令したという。
 「準戦時状態」は過去にも発令されたことがある。とはいえ北朝鮮の挑発行為が南北の局地的な軍事衝突に発展する懸念は否定できず、警戒が怠れない。
 南北の間では今月4日、非武装地帯の南側に仕掛けられた地雷が爆発し、韓国軍兵士が負傷する事件が起きたばかりだ。韓国は「北朝鮮の犯行」と断定し、報復措置として拡声器を使った宣伝放送を境界線沿いで再開していた。
 また今週からは、米国と韓国が朝鮮半島有事を想定した合同軍事演習を開始し、北朝鮮は反発を強めていた。
 北朝鮮は地雷設置や砲撃への関与を否定する一方で、宣伝放送が中止されなければ強力な「軍事行動」をとると警告している。北朝鮮による威嚇は合同演習をけん制するとともに、宣伝放送の中止を求める狙いがあるようだ。
 南北間では2010年、北朝鮮が黄海上にある韓国の延坪島(ヨンピョンド)を砲撃し、民間人らが犠牲になる事件も起きている。不測の事態を避ける意味でも、南北はともに自制し、緊張緩和に向けた努力を進めるべきだ。
 不安を覚えるのは、北朝鮮を率いる正恩氏の過激で好戦的ともいえる対応ぶりだ。国内では側近を含めた政権幹部を次々と粛清し、恐怖体制を敷く。南北関係を意図的に悪化させる背景にも、体制を引き締める思惑がうかがえる。
 北朝鮮は10月に朝鮮労働党創建70年を迎える。韓国への威嚇に加え、長距離弾道ミサイルの発射や核実験の実施などで国威を発揚し、国際社会を揺さぶる可能性も捨てきれない。日本も米国や韓国、中国などとの情報共有をより密にし、北朝鮮の挑発行動への警戒を強めていく必要がある。


北朝鮮が通告してきた期限前に、北朝鮮から韓国に対して協議の申し出があり、軍事衝突のリスクは一時回避されている形です。
朝鮮民族独特の感情の高まりに任せるがままの緊張だったわけですけど、韓国も北朝鮮も政治の不安定さによって、今後も同じような事件があるのでしょう。
もともと、本当に北朝鮮が半島統一を軍事的に挑戦するならば、朝鮮戦争と同じく韓国への奇襲作戦となります。
北朝鮮にとって、朝鮮戦争緒戦は日露戦争の「日本海海戦」のようなパーフェクトゲームでしたので、当然これが北朝鮮軍のドクトリンになっています。
その前提条件としては、まず在韓米軍の撤退と韓国軍の弱体化、そして韓国内での親北勢力の伸張と平和攻勢、何よりも中国からの軍事的、経済的全面バックアップとロシアの協力が必要です。
その上で、完全秘匿した北朝鮮軍主力を38度線に動員しておく必要がありますが、どの条件を考えても現在の金正恩王朝にとっては難しいものばかりです。
それぐらいは、どんなバカでも感じていると思いますので、すると朝鮮戦争アゲインは断念せざるを得ないという結論ぐらいは、すでに金王朝内でもついているのではないでしょうか。
無理に北朝鮮から攻勢をかければ、王朝崩壊を早めるだけであり、であれば防御的戦略による抑止を効かて延命しようと言う考えが、核開発に繋がっていると見るのが論理的だと思います。

逆に、韓国にしても半島統一を歴代大統領が掲げるわりには、そう熱心でなく、掛け声だけにしか思えません。
それはそうで、せっかく経済成長を遂げて国際社会の一角を担うまでになったのに、ここで北朝鮮のような最貧国家を抱え込んでしまっては、全てが水の泡となるからです。
こっちは中国やロシアとの関係も良好だし、北朝鮮人民を金王朝と共に38度線の向こう側に閉じ込めておくのが韓国の国益だというのが本音なんですね。
ならば、韓国からも軍事的な統一をしようと言うモチベーションは皆無で、彼らもまた防御的戦略でもって、「半島分裂」を固定化しようとしているのです。
そもそも、朝鮮半島の歴史で統一を果たしたのは大した期間でなく、分裂している方が長かったわけです。
こうやって考えてみると、両国間で小さな紛争はあれど、本気で38度線を越えようという事態は起こりにくいというバランスが働いています。
しかし、金王朝がクーデターで倒れるなどの政変があれば、このバランスが崩れるわけで、その時が好むと好まざるとに関わらず朝鮮半島危機となるのです。
日本が備えるべきは、この事態であると思います。
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2015年08月21日

安保対案との接点を見いだせ

21日朝刊2面【総合】
 維新の党が安全保障関連法案への対案を参院に提出した。日本を元気にする会と新党改革も近く独自案を共同提出する見込みだ。政府・与党はこれら野党の主張に耳を傾け、少しでも幅広い合意づくりに努力すべきだ。
 維新は衆院段階でも対案を出したが、与党は「内容的に距離がある」として早々に法案の修正協議を打ち切った。法案の参院審議が遅滞した場合、衆院の3分の2の多数による再議決で成立させることができる。この「60日ルール」を適用できる期間内に政府案を衆院通過させることを優先した。
 政府・与党は安保法案の参院での採決は9月上旬とする方向で調整している。衆院で大詰めを迎えたときよりも、時間に少し余裕がある。双方が折り合える接点はまったくないのか。じっくり話し合ってもらいたい。


すでに衆院で、維新と民主の「対案」なるものは審議した結果、否決されているのですから、また参院で同じものを出して来たところでどうなのかと思いますね。
それでも、野党が純粋に真っ当な対案を出してくればまだしも、衆院では国対の駆け引きに使われただけであり、しかも維新案の丸呑みしか折り合うところはないと、言っていたのですから、接点云々は最初からありえないでしょう。
本当に不思議なのは、民主も維新もアジアの安全保障環境をどう捉えているのか、それが全く見えてきません。
安保法案と言うのは、国際情勢の分析がまずあって、そこから問題点が明らかになった時に、じゃあ日本はどうするのかという法案となって出てくるのだと考えます。
肝心の国際情勢に対する認識で与野党が一致していれば、答えは自ずと一つに収斂されるはずなのに、なぜだか野党はその認識を詳らかにしません。
「地球の裏側まで戦争に行ける」とか、「徴兵制が始まる」とか「アメリカの戦争に巻き込まれる」とか、まるで天動説のような議論ばかりなのはかつての日米安保反対運動と同じじゃないですか。
対案は対案でも法案の字面でなく、認識がどうなのかという点で議論すべきじゃないかと思います。
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2015年08月20日

客取り込み、地域で濃淡 北海道や沖縄好調 東北は出遅れ

20日朝刊3面【総合2】
 訪日外国人旅行者が過去最速のペースで1千万人を突破したが、地域別に見ると濃淡が生じている。観光庁の調査で延べ宿泊者数をみると「ゴールデンルート」と呼ばれる東京や大阪、京都のほか、北海道や沖縄といった人気の観光地の多さが目立つ。同庁は「知名度の高い観光地や、空港などが立地する交通の便のよい都市部が目立つ傾向は変わらない」(観光戦略課)としている。
 サッポロドラッグストアーは6月、札幌市中心部の狸小路商店街に2店舗をオープンした。その一つ、訪日客対応の旗艦店と位置付けた「狸小路5丁目店」は、中国人に人気の馬油商品コーナーを設けたことなどが好評で開業早々、全社で売上高トップの店となった。まだ出店余地があるとみて同社は9月、同じ5丁目に売り場面積を4割広げた大型店を開く。
 2014年の外国人の延べ宿泊者数で、北海道は東京都、大阪府に次いで3位となっている。
 出発前にネットで調べた料理の画像をスマートフォン(スマホ)で示して注文する――。那覇市内では庶民的な食堂にも訪日客の姿が目立つ。スマホを使って店員とやりとりする光景は珍しくなくなった。沖縄県によると、同県を訪れる外国人観光客は、14年度に過去最高の約98万人となった。勢いは衰えず6月まで3カ月連続で単月の過去最高を更新している。
 出遅れているのが東北だ。主に観光目的で14年に東北6県に宿泊した外国人観光客は約20万人。この年の訪日客全体の2%に満たない。原発事故の影響を懸念して旅行を控えており、この傾向はなお続いている。東北観光推進機構(仙台市)の佐藤一彦副本部長は「温泉などの情報をうまく発信できていないのも原因だ」と話す。
 機構は16年度までに東北の宿泊施設を利用する訪日客を、東日本大震災前と同じ水準の50万5千人に増やす目標を掲げている。


1〜7月の訪日客数は、前年同期比47%増の1105万人と1000万人の大台到達は昨年より3カ月早く、過去最速であり、観光庁は「特段の外的要因がない限り、通年で1800万人を超える見込み」と分析していると上段の記事にあります。
特に、7月は前年同月比51%増の191万人と、単月としてこれまでで最も多かったそうで、要因として「円安で日本での滞在や買い物が割安になっている」、「政府による査証の発給要件緩和」、「消費税の免税制度拡充」などが挙げられています。
また国・地域別では、中国が前年同期に比べ2倍強の275万人で首位、2位は韓国の216万人(42%増)、3位は台湾の215万人(29%増)で、香港、米国が続いたとあります。
政治的な状況とは、180度異なっていることがポイントです。

「2020年に向けて、訪日外国人旅行者数2,000万人を目指す」というのが、いわゆる「アベノミクス」における成長戦略ですが、東京オリンピックを待たずとも達成できるのではないでしょうか。
とにかく、街を歩いていても外国人が多い、電車の一車両でも自分以外は周囲は全部外国人だったなんてこともあります。
かつては、東京に居る外国人は外資系ビジネスマンが主であり、従って家族で転勤してきたものです。
外国人向けの家具付き賃貸高級マンションなんかが、千代田区はじめ世田谷まで展開しており、専任の仲介業者などもありました。
ところが世界的に景気が悪くなると出張扱いとなり、東日本大震災後はそれが顕著です。
現在のように、利便性の良い立地を活かした長期出張者用の家具付き高級ホテルが主流となったのは、こうした事情があったからです。
当時と一変したのは、バックパッカーだけでなく観光バスで乗り込む観光客の姿が、日本のあちこちで見かけられるようになったことです。
これは、明らかにかつての状況とは違う、それが数字となって表れているのですね。

「地方創生」と言うと、「また、いつもの『地方を元気に』とか『地方のことは地方に任せろ』とかと同じ、スローガンだけの事だろ」や、「どうせ補助金バラ撒いて終わりだろ」みたいにメディアは高を括っているのか、あまり注目していません。
だから、静かな環境で進めることができているのでしょうが、「アベノミクス」の根幹を成すこの政策は「地方行政のマネージメント化」という実は恐ろしい代物なんですね。
創生で思い出すのは、竹下内閣での「ふるさと創生」事業。
この時、3,000あった地方自治体に1億円づつ配り、何でも使っていいよというバブル時代そのものの事業でしたが、使途を定めない掴み金を渡して、地方がこれをどうするのかというマネージメントの試金石だったのですね。
当然、泡のように一瞬で消えてしまったものもあれば、今もちゃんと活性化のために役割を果たしている事業もある、一口に「地方行政」と言っても同じものは一つもなく、千差万別なのがよく分かります。
何でこうなったのか、それがマネージメントなんです。
「地方創生」とは、国庫に掴み金はもうないので、あとは自分たちで生き残りのマネージメントをやって下さいね、という国が中央集権を手放した瞬間だと言えます。

危機感ある自治体は、人口をどうやったら増やせるのか、独自の産業を育成することはできないか、ウチの産品をブランド化して輸出できないか、すでに必死の取り組みをはじめてます。
これからは、市民が首長さんたちに求めるのは、政治力でなくマネージメント力であり、自治体の一つ一つが国営企業から私企業になったのだと思えば、高齢者・人口減社会と呼ばれ衰退していく市町村をどうやって生き残り、発展させるかが首長さんたちの仕事ということになります。
企業ならば、自分たちで稼がねばなりません。
国内需要が減るとすれば、海外からの消費や投資を呼びこむ、それには魅力的で競争力のある商品やサービスを提供する、いわゆる「稼ぐ力」をつけることです。
なぜ、成長戦略に訪日外国人旅行者数がターゲットになってるかと言えば、外人観光客が地方を訪れ、観光産業が自治体にとって主たる収入になっていくだけの「稼ぐ力」をつけてもらいたいからです。
それには、多くの市町村との競争を勝たねばなりませんが、この市場は決してゼロサムでなく、競争によって市場が拡大していくという自由資本主義の世界です。
今までのように国に陳情や苦情を言って、交付金やら補助金をタンマリ貰ってくるのが良い首長さん、という時代は終わりました。
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2015年08月19日

内部資料問題で防衛相が説明 安保法案審議きょう再開

19日朝刊4面【政治】
 与野党は18日の参院平和安全法制特別委員会の理事懇談会で安全保障関連法案の審議を19日に再開することで合意した。自衛隊統合幕僚監部が安保法案成立を前提に内部資料を作成していた問題を巡って、中谷元・防衛相が委員会の冒頭に作成経緯などを説明する。21日には礒崎陽輔首相補佐官が「(安保法案の)法的安定性は関係ない」と発言し、その後、撤回した問題で集中審議も開く。
 安保法案の審議はお盆休み前の11日の審議で、共産党の小池晃政策委員長が法案成立を前提に部隊編成計画などを含めた内部文書の存在を指摘して追及。中谷氏は小池氏が指摘した文書の確認には時間が必要などと答弁し、審議が紛糾したまま散会していた。
 与野党は17日に防衛省が文書作成を認めたことを受けて審議再開に向けて断続的に協議。8日ぶりの審議となる19日の審議では中谷氏が資料作成に関して発言をし、その後、11日に中断した野党側の質問を含め約6時間実施する。同時に、防衛省は資料流出の経緯などを調査する。
 民主、共産両党などは資料作成を「国会軽視だ」と問題視しており、中谷氏の責任問題を追及する。一方、自民党の谷垣禎一幹事長は18日の記者会見で「役所として法律ができたときに『何の準備もできていない』というわけにはいかない」と問題ないとの立場を強調した。


法案が成立する前から、役所が実施準備をしておくなんてケシカラン、「国会軽視だ」なんてのは実にアホらしいですね。
共産党が言うならまだしも、一度は政権を担った民主党までが悪乗りしてるのは、この人たちはもう二度と政権に返り咲く気はなく、永久野党で結構ということなんでしょう。
件の文書は、「取扱厳重注意」とはありますが別に機密でもなんでもない役所内部の資料で、それを共産党に渡した人物が居たということです。
共産党のサイトから実物をダウンロードしますと、最後が48と頁ナンバー振っているにも関わらず、掲載されているのは7頁しかないので、面白いとこだけ共産党がピックアップしたのでしょうか。
http://www.jcp.or.jp/web_download/data/20150810183700620.pdf
「今日の参議院特別委員会で暴露した自衛隊・統合幕僚監部の内部文書です。法案審議が始まった五月に克明な実施計画を作成。まるで戦前の『軍部独走』。戦争法案は撤回!」、と小池晃政策委員長も目一杯頑張って煽ってますね。
しかし内容からは、統合幕僚監部が各部隊に対して安全保障法案の説明と、それに伴う検討事項についての解説をした際の説明者側のパワーポイント資料なんですね。
ですので、漏洩したのは部隊でなく統幕側だと言うことになります。
すでに国会論議で明確になっている事柄ばかりですから、漏洩した所で何の差し障りもありませんが、統幕から共産党に資料が渡ったという事実は重要です。
しっかりと調査をしていただかないと、こんな一般資料は氷山の一角で本当に機密が漏れているかもしれず、また漏れる可能性があるやかもしれません。
かつて、社会党の岡田春夫が国会で暴露した「三矢研究」と言うのがありました。
統幕会議が、第二次朝鮮戦争を想定しての兵力運用を図上演習したものだと言われてますけど、これも今考えると当たり前のことなんですが、当時は大騒ぎになりました。
それに比べても、小池氏の「暴露」は小物感満載で、まして安全保障法案の核心から遠ざかるお話しになっていくだけです。
野党もこれでいいのでしょうかね。
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2015年08月18日

天津の惨事を徹底究明せよ

18日朝刊2面【総合1】社説2
 中国・天津市の港湾部で12日深夜に大きな爆発が起き、多数の犠牲者が出た。現場には毒性の高いシアン化ナトリウムが残っている可能性が指摘されており、事態が収束するメドはたっていない。
 トヨタ自動車の合弁工場が操業停止を余儀なくされるなど、被害は進出した日系企業にも及んでいる。貨物の取扱量で世界有数の天津港が機能不全に陥るなど、経済への影響は深刻だ。当局は復旧を急ぐ必要がある。
 何よりも大切なのは、有害物質をしっかり処理して新たな被害を防ぎ、原因や背景を究明して再発防止に生かすことだ。
 2度の大きな爆発のうち特に大きかった2回目は、駆けつけた消防隊の消火活動が引き起こしたとの見方が強まっている。
 爆発した倉庫が保管していたシアン化ナトリウムは水と反応して引火性の有毒ガスを発生させる化学物質。放水が被害を甚大にした可能性があり、消防当局の指揮の是非が問われる。港湾当局との情報共有のあり方も検証が必要だ。
 住宅街の近くに危険物質を貯蔵した倉庫があったことには法令違反の指摘が出ている。倉庫の建設が認められた背景の解明が欠かせない。さもないと習近平国家主席が唱える「法治」の確立もかけ声倒れと言わざるを得ない。
 例によって共産党政権は情報統制を強めているが、それでは関係者が責任を回避するための隠蔽を容易にしかねない。事態の究明にもマイナスだ。新たな被害を防ぐためにも、再発防止に向けた教訓を学び取るためにも、積極的に情報を開示すべきだ。
 400人以上が亡くなった長江の客船転覆など中国では重大な事故が絶えない。安全や法令順守をないがしろにして成長を追い求める傾向が、企業経営者や当局者の間に残っているのではないか。
 中国経済の持続的な成長には「量から質へ」の転換が求められる。習主席ひきいる指導部は事故の教訓を最大限にくみ取り、国民と共有しなければならない。


爆発力はTNT火薬換算で1,000トンとも言われてますが、どれだけの危険物質が保管されていたのかすら不明なのですから、「法治」も何もありません。
経済への影響だけでなく、中国に対するリスク要因がまた増えたということになります。
それは、同じことが他の都市でもあるのではないか、という疑念があるからです。
ご案内のとおり、中国では多くの自治権を地方行政に任せており、小さくとも政府のような組織と権限と予算を持っています。
そして、地方で成功すれば党中央に引き立てられ、中共政府の枢要を担うという立身出世コースに乗ります。
習近平氏も廈門を振り出しに上海市党委書記を経て、主席にまで登り詰めています。
ですから、地方行政と言っても地方間や都市間の競争が激しく、どうやって北京の覚えめでたいかを競っているわけです。
北京の求める指標は経済成長ですから、どんなに無理をしてでも貪欲に投資を呼び込み、人や企業を集積しようとします。
爆発のあった地区も経済特区として成長著しく、ここ10年で急速に発展拡大した港湾都市です。
従って、住宅や工場と危険物質貯蔵場とが同時に拡大してきたという、杜撰な計画の基に作られた人災都市なんですね。
事は天津だけじゃないでしょ、という話しです。
沿岸部の都市に留まらず、内陸部で急速に発展してきている都市は相当の矛盾を抱えていると考えて間違いありません。
これら矛盾が次々と破断し始めてるのではないか、今回の事故もその一つに過ぎないとすれば、その責任は中共政府に行き着くことになるので、今までどおり現場の責任者だけ処罰して原因究明はウヤムヤにするのでないかなと思うのです。
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2015年08月17日

新聞休刊日

本日は休刊日のため、日記もお休みします。
また明日。
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2015年08月16日

戦没者を静かに追悼できる環境を

16日朝刊2面【総合・政治】
 70回目の終戦の日を迎え、全国戦没者追悼式のおことばで、天皇陛下が先の大戦に対する「深い反省」に言及し、犠牲になった人々に改めて哀悼の意を表明された。
 われわれ自身も平和への誓いを新たにするとともに、国のために亡くなった戦没者の追悼についても考える機会にしたい。(中略)
 靖国神社は1978年にA級戦犯を合祀(ごうし)した。昭和天皇とのやりとりを記述した富田朝彦・元宮内庁長官のメモに「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」とある。合祀して以降、天皇の靖国参拝が実現していない事実は重い。
 安倍晋三首相が設けた有識者の集まり「21世紀構想懇談会」が先週まとめた報告書は「1930年代以後の政府、軍の指導者の責任は誠に重い」と指摘した。A級戦犯というくくりを外したとしても、当時の戦争指導者の判断を肯定できないということだ。
 戦争で亡くなった約310万人の日本人の多くは赤紙で戦地に送り出された。こうした人々と無謀な戦争に駆り立てた側を全く同列に弔うことには違和感がある。
 靖国神社を合祀前の状態に戻してはどうだろうか。厚生省は66年にA級戦犯14人を公務死認定したが、当時の靖国は同省から届いた名簿を宮司預かりにした。宮司交代後にしまってあった名簿を取り出し、「昭和殉難者」としてまつったのが合祀である。
 ならば名簿を再び宮司預かりにすれば、それをことさらに分祀(ぶんし)と呼ぶかどうかは別にして、戦争指導者と犠牲者の間に一線を画する効果はあろう。中曽根内閣などが靖国に水面下で分祀を働きかけたことがある。
 国が無宗教の追悼施設を新たに設けることも考えられる。小泉内閣時代に当時の福田康夫官房長官の私的諮問機関が提唱した。無宗教の施設にすれば、宗教法人である靖国の場合と異なり、公人が参拝しても政教分離を定めた憲法への抵触を心配しなくてすむ。
 すでにある千鳥ケ淵戦没者墓苑を拡充するのも一案である。現在は戦地などで収集したが、身元不明で遺族に渡せなかった遺骨などが納められており、天皇陛下や首相は毎年参拝している。
 そこに戦争指導者以外の犠牲者を一緒にまつり、追悼の中心施設と位置付ける方が、全く新しい施設をつくるよりも遺族には抵抗感が小さいかもしれない。
 いずれにせよ、いちばん大事なのは多くの国民がわだかまりを抱くことなく、英霊を弔うことができる静かな環境をつくることだ。戦後70年を経てなお、終戦の日が来るたびに靖国を巡り内外にあつれきが生じる今の姿を続けていては戦没者もうかばれまい。
 「この年のこの日にもまた靖国の みやしろのことにうれひはふかし」。昭和天皇は86年、こんな歌をよまれた。そこに込められた思いをくみ取りたい。


いわゆる「靖国参拝問題」を整理すると、(1)「A級戦犯合祀」問題、(2)軍国主義の象徴という中国韓国からの批判、(3)政教分離に違背しているという左翼からの違憲論、という3点に絞られるのではないでしょうか。
社説子の言う分祀論は1の解決なのでしょうが、御霊はロウソクの火のようなものだから、いくら分祀しようが元のお社にも残るというのが神社側の説明である以上、果たして「戦争指導者と犠牲者の間に一線を画する効果」になるのだろうか甚だ疑問です。
しかも、名簿を宮司預かりにしたら、御霊は一体どこに行ってしまうのか、これじゃ死んでもおちおち休むことができませんよ。
国家鎮護のため戦争死者を慰霊するのが靖国神社の役割であるのに、わざわざ怨霊にしてどうするのかと思いますね。
そもそも、A級戦犯合祀に昭和天皇が反対していたことを批判理由にしてますが、天皇はA級戦犯として合祀された中に三国同盟を進めた松岡洋右と白鳥敏夫が入っていたことに立腹していたとされています。
更に、当時の松平永芳宮司が天皇の意に反して合祀を行ったと後年発見された「冨田メモ」にありますけど、どれもこれも天皇の私的感情の範囲であり、それで多くの御霊へのご親拝も左右していいのかという問題は誰も指摘していません。
かつて我々日本国民は「赤子」と呼ばれ、天皇も「わが臣民」と呼んでいた、日本という国と天皇とは一体であると信じて戦い、246万余柱の「わが臣民」が祀られている社に、アイツとアイツが祀られてるから行かない、というのはワガママじゃないかとは言い過ぎでしょうか。
事は昭和天皇個人のお話しでなく、日本としてどうなのかという重大な問題だったのですね。
今上陛下も、このことはよくよく考えられた方がいいと思います。
一方、2と3のイチャモンを避けるために新しい無宗教の慰霊施設というのを作って、天皇も総理もそちらに専ら参拝するということは、靖国神社を国家は捨てるということになります。
祀られている英霊はどうなるのか、家族から打ち捨てられたお墓のようなもので、これまた「靖国で会おう」と言った御霊としても堪ったものではありません。
結局、「靖国参拝問題」とは日本人の心の問題であり、中国韓国からとやかく言われるとか、施設どうこうというものではありません。
国家国民は戦没者とどう向き合っていくのか、その心情が問われているのです。
従って、政府は粛々と参拝したらいいし、天皇陛下にはご親拝を再開するよう国民から働き掛けをしていく、「軍国主義だー」と言いたいならこの先何十年でも何百年でもずっと言ってなさい、ということです。
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2015年08月15日

戦後70年談話決定 首相「反省・おわび」言及

15日朝刊1面
 政府は14日夕、臨時閣議で戦後70年の安倍晋三首相談話(総合2面きょうのことば)を決定した。先の大戦について「我が国は痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と指摘したうえで「こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものだ」と表明。「侵略」や「植民地支配」にも言及した。中国や韓国などにおわびを繰り返す「謝罪外交」に区切りをつけたい意向をにじませ、未来志向で世界の平和と繁栄に貢献する考えを示した。
14日、戦後70年談話を発表し、記者の質問に答える安倍首相(首相官邸)
 首相は臨時閣議後、首相官邸で記者会見し、談話を読み上げた。そのうえで「歴史に謙虚でなければならない。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら未来への知恵を学んでいく」と述べた。英語版を同時に発表し、続いて中国語と韓国語でも公表した。
 談話は約3400文字で、1995年の村山富市首相談話(約1300字)や2005年の小泉純一郎首相談話(約1100字)を大幅に上回った。過去の談話でキーワードとされた「植民地支配」「侵略」「反省」「おわび」の文言自体はすべて盛り込み、「反省」「おわび」を含めて歴代内閣の立場を継承する姿勢を鮮明にした。
 談話は先の大戦に「深い悔悟の念」を示し「国内外にたおれたすべての人々の命の前に深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに永劫(えいごう)の哀悼の誠をささげる」と表明。「世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」とする一方、「あの戦争に何ら関わりのない子や孫、その先の世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と指摘した。
 大戦に至る歴史認識は満州事変や国際連盟脱退に触れ「新しい国際秩序への挑戦者となっていった。進むべき針路を誤り戦争への道を進んで行った」と明記。そのうえで「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない」という表現で侵略に言及した。
 植民地に関しては、欧米の植民地支配が19世紀にアジアにも広がったとしたうえで「植民地支配から永遠に決別する」との形で触れた。従軍慰安婦には直接の言及はないものの「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはならない」と盛り込んだ。
 戦後の歩みでは、インドネシア、フィリピンなど東南アジアや台湾、韓国、中国を挙げて「苦難の歴史を胸に刻み、その平和と繁栄に力を尽くした」と強調。未来志向も強調し「積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献する」とした。


「21世紀構想懇談会」の報告書を基調とし、そこに安倍総理の想いや与党への配慮を加えることになりましたが、世界の近現代史から説き起こすという格調高い「安倍宣言」になったと思います。
いわゆる「村山談話」は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と、左派らしく観念的に日本を断罪し、あとは謝るばかりなりという代物でした。
歴史の流れにおける日本の立ち位置と言うのが一切なく、とにかく謝っておけばいいだろ、みたいな薄っぺらな気持ちなんですね。
ま、それでも中国や韓国が納得したのかと言えば、彼らの態度は何も変わってこなかったどころか、更に高圧的になっていくのです。
結局、何をやっても何を言ってもメディアが重箱の隅をつつき、それに中韓が悪乗りして「誠意が足りない」などとヤクザのような因縁をつけてくるわけです。
笑ってしまうのがメディアの対応でして、「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」の4つのキーワードが入ってるか否かというチェックに必死だった所で、何も本質を見ていないのです。
4つの語を使って短文を作りなさい、という国語のテストじゃあるまいし、中にはチェックリストまで出してきて「入ってる」、「いや、これはお詫びじゃない」などと大騒ぎしている方々もいました。
バカを通り越すと、本当のお笑いになるという好例かもしれません。
問題の張本人である村山元総理は、「焦点がぼけ、さっぱり何を言いたかったのか分からない。村山談話を継承すると言えば、その一言で済んだ」と批判してますが、さすがよく分かってらっしゃる。
村山氏のような謝罪文でなく、従ってその談話とは異なり、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、ここで日本の「戦後」を終わらせようという「安倍宣言」なんですよ。
「戦後レジームからの脱却」という安倍総理の言葉が実行されたと言っていいでしょうし、だからこそ、歴史から説き起こす必要があったのです。

その歴史観について、「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。そして70年前。日本は、敗戦しました」、と言う「21世紀構想懇談会」が書いた東京裁判史観を受け容れざるを得なかった点には保守派から批判もありましょう。
しかし「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました」、とする戦争への原因に言及した上で「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界のさらなる繁栄をけん引してまいります」と現在から未来へと繋いでいきます。
この「宣言」がよく出来ているなと思うのは、「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り開いていく」と過去から得られた教訓を元に、現在未来への施策と提言へと常に通底している構成です。
「愚者は経験に学ぶ、余は歴史に学ぶ」というビスマルクの言葉どおり、歴史を学べば学ぶほど未来が見えるわけで、大変重要な考え方を示唆しています。
どうも政治家の談話なるものは、皮相的というか先の村山氏みたいに目先の問題の処理だけに終始してしまいますが、こうした大局観・歴史観でもって語ることは少なかったように思います。
文字通り歴史的な「戦後レジームからの脱却宣言」が、戦後70年を機に行われたことに意義を感じますね。
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posted by 泥酔論説委員 at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする