中国の大規模な軍事パレードは習近平国家主席が権力を掌握したと内外に示す場となった。一方で北京に敷かれた厳戒態勢は社会の不安定さをうかがわせた。
中国の軍事パレードは建国50年や60年といった節目の国慶節(建国記念日、10月1日)に実施するのが慣例となってきた。今回は初めて、抗日戦争勝利の記念日とされる9月3日を選んだ。
「反腐敗」を掲げる習主席は、軍の元制服組トップ2人の摘発などをテコにして、過去のトップに比べかなり早く軍権を固めたことをアピールしたといえる。
3日の演説では兵力を30万人削り200万人にすると表明したが、その真意は陸軍の削減と海・空軍と戦略ミサイル部隊の増強にある。習主席は軍改革を自ら主導する姿勢も誇示したわけだ。
ロシアも先に対独戦勝70年の軍事パレードを実施した。同じ戦勝国の英仏はドイツとの関係に配慮して目立つ行事を避けた。ロシアは米欧諸国との対峙もあり、第2次世界大戦からの歴史解釈の主導権確保を優先した。
中国の場合も、日中戦争の勝利から現在までの歴史解釈の主導権を共産党が握っていると訴える意味があった。旧日本軍と戦った主役は国民党軍だったので、そうした思惑は特に強い。今回、台湾の与党・国民党の連戦名誉主席(元副総統)をパレードに招き、台湾取り込みにも腐心した。
北京市内では前日から商店や飲食店がほぼ閉鎖された。それほどに治安の維持に力を注がざるをえないのが、社会の実情だ。軍事力の誇示は国際社会だけでなく国内にも向けた面があった。
中国政府はパレードについて「今日の日本、日本国民を標的にするものではない」と説明する。とはいえ「抗日」の名の下に1万2千人もの兵士を動員し、数々の最新兵器を見せつけられれば、日本としては身構えたくなる。
中国は南シナ海で一方的な現状変更を進めている。武力を誇示し実力行使も辞さなくなった中国とどう向き合うべきか、日本や世界は問われている。
安倍晋三首相は戦後70年の談話に侵略、植民地支配、反省、おわびを盛り込んだ。次の習主席との会談では焦点の「歴史認識」について丁寧に説明し、将来に禍根を残さないよう布石を打つ必要がある。中国にも大局を重んじる度量を期待したいところだ。
経済力でアメリカに次ぐ世界第二位となった中共は、次は太平洋を米中で分け合おうという覇権主義を唱えています。
日本では、日清戦争の意義を日露戦争とセットで語られていますが、世界史的には東アジアの盟主・清帝国を小国日本が破ったという前代未聞の事件であり、これにより西欧列強があからさまに中国大陸を蚕食しはじめたきっかけだったのです。
そこから先は、坂道を転げ落ちるようなもので、第二次大戦後の国共内戦で中共が大陸を制覇した後も毛沢東の失政により、長らく貧乏暮らしが続いてきたわけです。
清帝国が崩壊する辛亥革命から数えると百年を越える今日、ようやく中国は世界列強のポジションに復してきたというのでしょう。
しかし、この百年間に世界の秩序は全て米欧中心に構築されてしまい、中国が何かしようとすると「ルールを守れ」と叱られる。
「世界の中心」が中華なのに、実際は「世界の端っこ」に追いやられている、こんな鬱屈した想いというかコンプレックスというか、遅れてやってきた「大国」感があるのです。
このあたりはロシアの感情と非常に似ている所があるのですが、そもそも何十年も発展が遅れたのは行き過ぎた共産主義によるものであって、国内事情を国際社会に転嫁しちゃいけませんよ。
ともあれ、こうした現状を打破したい、国際秩序を中国に有利なように変更したい、という危険な挑戦が江沢民以降の中共の基本政策となっています。
それにはアメリカに侮られてはならないし、力を見せつけることによって現状変更を実現するのだというお話しです。
伝統的な外交戦略としては尤もで、19世紀まではこうした外交が普通でした。
ただ、こうした外交はやたら軍事コストだけがかかり、その割に得られる国益が少ないし、各国から目をつけられるので却って動きにくいということで、後進的な政策として冷戦後は敬遠されています。
なんだかんだ言って、共産国家はこの手の力技外交が大好きですし、そのショーケースが大規模軍事パレードであります。
おそらく中共政府が続く限り、力による現状変更路線の代替策は取らないでしょうし、こうした事実だけでも、日本が置かれている国際環境の厳しさがよく分かると思います。
左の人たちは、「どこが日本に攻めてくるのですか?」「中国ですか?冗談じゃない、中国とこれだけ密接な経済関係にあるのに何故攻めてくるのですか?」などというトンチンカンな質問をしてますが、それは日米同盟と日本の外交安保がちゃんと効いているからこそ中共の企図に抑止がかかっているのです。
彼らのは質問でなく、日本の安全保障政策の答え合わせをしているに過ぎません。
だが、中共がこの先も力による現状変更路線を伸ばしていく以上、私たちもそれに対応していかなければ、安全保障の鎖は破られます。
昔揃えた鎧兜一式あれば大丈夫というわけでなく、日米同盟の深化や装備の近代化など防衛努力によって、中共もそう簡単に手出しできないと思う、つまりこれが抑止力なのです。
現在審議中の安保法制は、安倍首相も言ってるように憲法の範囲ギリギリのところであり、だからこそパッチワーク的な部分があります。
「改憲するのがスジだ」という人に限って、実は護憲論だったりする面白さがあるのですが、これは「そう簡単に改憲なんて出来っこない」と言ってる裏返しなんでしょう。
それはその通りでして、改憲が国民的理解を得るまでこの先も時間がかかるし、その間に安全保障の鎖が破れる可能性が高いからこそ、パッチワークであっても穴を埋めておこうということです。
もう一つ、中共軍の30万人の削減について、もちろん余剰感がある陸軍が軍縮の対象なんでしょう、稼働が低い兵員の人件費もバカにならず、だったら稼働率が高いテロや暴動対策などの治安警察へ転用を考えているだと思います。
まして、近年のハイテク化は量より質で高い技能を有する兵が必要であり、毛沢東時代の「人民の海に沈める」などと言った人海戦術は今や中共軍でも放棄されています。
従って、30万人はまだ取っ掛かりで共産党としてはもっと減らしたい所かもしれませんが、軍縮となると軍の不平が必ず溜まります。
とにかく軍というのは、員数と既得権の塊のような組織で、自分たちの陣地は1ミリとも渡さないというのが彼らの本質です。
30万人の員数が減るということは、部隊が無くなるかもしれないし、予算も減るかもしれないし、そうなると指揮官も整理されるでしょう。
かつて、第一次大戦後の日本でも宇垣軍縮で大量の将校が野に下り、軍は大混乱に陥ります。
「腐敗撲滅」と称して習政権は、中共軍の上層部も粛清に入ってますので、軍縮を実行するのは政権に忠誠を誓う将軍たちでしょう。
だが、経済が失速している中にあって、居心地がよく将来が保証されていた軍から突然在野に追い出される人たちは、この軍縮をどう思うのでしょうか。