2015年09月04日

力を隠さない中国とどう向き合うのか

4日朝刊2面【総合1】社説2
 中国の大規模な軍事パレードは習近平国家主席が権力を掌握したと内外に示す場となった。一方で北京に敷かれた厳戒態勢は社会の不安定さをうかがわせた。
 中国の軍事パレードは建国50年や60年といった節目の国慶節(建国記念日、10月1日)に実施するのが慣例となってきた。今回は初めて、抗日戦争勝利の記念日とされる9月3日を選んだ。
 「反腐敗」を掲げる習主席は、軍の元制服組トップ2人の摘発などをテコにして、過去のトップに比べかなり早く軍権を固めたことをアピールしたといえる。
 3日の演説では兵力を30万人削り200万人にすると表明したが、その真意は陸軍の削減と海・空軍と戦略ミサイル部隊の増強にある。習主席は軍改革を自ら主導する姿勢も誇示したわけだ。
 ロシアも先に対独戦勝70年の軍事パレードを実施した。同じ戦勝国の英仏はドイツとの関係に配慮して目立つ行事を避けた。ロシアは米欧諸国との対峙もあり、第2次世界大戦からの歴史解釈の主導権確保を優先した。
 中国の場合も、日中戦争の勝利から現在までの歴史解釈の主導権を共産党が握っていると訴える意味があった。旧日本軍と戦った主役は国民党軍だったので、そうした思惑は特に強い。今回、台湾の与党・国民党の連戦名誉主席(元副総統)をパレードに招き、台湾取り込みにも腐心した。
 北京市内では前日から商店や飲食店がほぼ閉鎖された。それほどに治安の維持に力を注がざるをえないのが、社会の実情だ。軍事力の誇示は国際社会だけでなく国内にも向けた面があった。
 中国政府はパレードについて「今日の日本、日本国民を標的にするものではない」と説明する。とはいえ「抗日」の名の下に1万2千人もの兵士を動員し、数々の最新兵器を見せつけられれば、日本としては身構えたくなる。
 中国は南シナ海で一方的な現状変更を進めている。武力を誇示し実力行使も辞さなくなった中国とどう向き合うべきか、日本や世界は問われている。
 安倍晋三首相は戦後70年の談話に侵略、植民地支配、反省、おわびを盛り込んだ。次の習主席との会談では焦点の「歴史認識」について丁寧に説明し、将来に禍根を残さないよう布石を打つ必要がある。中国にも大局を重んじる度量を期待したいところだ。


経済力でアメリカに次ぐ世界第二位となった中共は、次は太平洋を米中で分け合おうという覇権主義を唱えています。
日本では、日清戦争の意義を日露戦争とセットで語られていますが、世界史的には東アジアの盟主・清帝国を小国日本が破ったという前代未聞の事件であり、これにより西欧列強があからさまに中国大陸を蚕食しはじめたきっかけだったのです。
そこから先は、坂道を転げ落ちるようなもので、第二次大戦後の国共内戦で中共が大陸を制覇した後も毛沢東の失政により、長らく貧乏暮らしが続いてきたわけです。
清帝国が崩壊する辛亥革命から数えると百年を越える今日、ようやく中国は世界列強のポジションに復してきたというのでしょう。
しかし、この百年間に世界の秩序は全て米欧中心に構築されてしまい、中国が何かしようとすると「ルールを守れ」と叱られる。
「世界の中心」が中華なのに、実際は「世界の端っこ」に追いやられている、こんな鬱屈した想いというかコンプレックスというか、遅れてやってきた「大国」感があるのです。
このあたりはロシアの感情と非常に似ている所があるのですが、そもそも何十年も発展が遅れたのは行き過ぎた共産主義によるものであって、国内事情を国際社会に転嫁しちゃいけませんよ。

ともあれ、こうした現状を打破したい、国際秩序を中国に有利なように変更したい、という危険な挑戦が江沢民以降の中共の基本政策となっています。
それにはアメリカに侮られてはならないし、力を見せつけることによって現状変更を実現するのだというお話しです。
伝統的な外交戦略としては尤もで、19世紀まではこうした外交が普通でした。
ただ、こうした外交はやたら軍事コストだけがかかり、その割に得られる国益が少ないし、各国から目をつけられるので却って動きにくいということで、後進的な政策として冷戦後は敬遠されています。
なんだかんだ言って、共産国家はこの手の力技外交が大好きですし、そのショーケースが大規模軍事パレードであります。
おそらく中共政府が続く限り、力による現状変更路線の代替策は取らないでしょうし、こうした事実だけでも、日本が置かれている国際環境の厳しさがよく分かると思います。

左の人たちは、「どこが日本に攻めてくるのですか?」「中国ですか?冗談じゃない、中国とこれだけ密接な経済関係にあるのに何故攻めてくるのですか?」などというトンチンカンな質問をしてますが、それは日米同盟と日本の外交安保がちゃんと効いているからこそ中共の企図に抑止がかかっているのです。
彼らのは質問でなく、日本の安全保障政策の答え合わせをしているに過ぎません。
だが、中共がこの先も力による現状変更路線を伸ばしていく以上、私たちもそれに対応していかなければ、安全保障の鎖は破られます。
昔揃えた鎧兜一式あれば大丈夫というわけでなく、日米同盟の深化や装備の近代化など防衛努力によって、中共もそう簡単に手出しできないと思う、つまりこれが抑止力なのです。
現在審議中の安保法制は、安倍首相も言ってるように憲法の範囲ギリギリのところであり、だからこそパッチワーク的な部分があります。
「改憲するのがスジだ」という人に限って、実は護憲論だったりする面白さがあるのですが、これは「そう簡単に改憲なんて出来っこない」と言ってる裏返しなんでしょう。
それはその通りでして、改憲が国民的理解を得るまでこの先も時間がかかるし、その間に安全保障の鎖が破れる可能性が高いからこそ、パッチワークであっても穴を埋めておこうということです。

もう一つ、中共軍の30万人の削減について、もちろん余剰感がある陸軍が軍縮の対象なんでしょう、稼働が低い兵員の人件費もバカにならず、だったら稼働率が高いテロや暴動対策などの治安警察へ転用を考えているだと思います。
まして、近年のハイテク化は量より質で高い技能を有する兵が必要であり、毛沢東時代の「人民の海に沈める」などと言った人海戦術は今や中共軍でも放棄されています。
従って、30万人はまだ取っ掛かりで共産党としてはもっと減らしたい所かもしれませんが、軍縮となると軍の不平が必ず溜まります。
とにかく軍というのは、員数と既得権の塊のような組織で、自分たちの陣地は1ミリとも渡さないというのが彼らの本質です。
30万人の員数が減るということは、部隊が無くなるかもしれないし、予算も減るかもしれないし、そうなると指揮官も整理されるでしょう。
かつて、第一次大戦後の日本でも宇垣軍縮で大量の将校が野に下り、軍は大混乱に陥ります。
「腐敗撲滅」と称して習政権は、中共軍の上層部も粛清に入ってますので、軍縮を実行するのは政権に忠誠を誓う将軍たちでしょう。
だが、経済が失速している中にあって、居心地がよく将来が保証されていた軍から突然在野に追い出される人たちは、この軍縮をどう思うのでしょうか。
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2015年09月03日

日本取締役協会 東芝不適切会計を「典型的」と批判 

3日朝刊17面【企業】
 日本取締役協会の冨山和彦副会長(経営共創基盤最高経営責任者)は2日、東芝の不適切会計問題に関し「同質性の高い日本のサラリーマン社会だからこそ起きた典型的事件」と批判し、社外取締役を中心に企業統治(コーポレートガバナンス)改革を進めるべきだとの考えを示した。報道陣を集めた同協会の勉強会で明らかにした。
 具体的には社内情報を直接、社外取締役に伝える内部統制システムを早急に整備すべきだと主張した。経営トップについては、社外取締役を中心とする指名委員会で適任者を選ぶ手続きを確立すべきだと強調した。


典型的事件というからには、他の会社でも似たようなケースがあるということでしょう。
「不適切会計」とメディアでは呼ばれてますけど、「粉飾決算」と言うのが一般的なのだと思います。
要するに、業績を良く見せようとする会計操作のことで、かつてのライブドア事件でも架空計上が問題となりました。
しかし、世界に冠たる大企業を刑事事件化するのは如何なものか、という当局の思惑なのか、会計の修正と経営者の退陣によって収束を図らせて貰えるわけです。
「同質性の高い日本のサラリーマン社会だからこそ起きた」というのは、赤信号みんなで渡れば怖くないのような風土を指しているのだと思います。
経験的に言うと、悪いことだと分かっていても、会社のため、部のため、課のためみんなやってることだ、という一種の風土病が社内に蔓延していたのです。
最初に誰がやったのかは判然としないが、下の人だけでなく次第に上の人たちも不感症となり、ついにはトップ自らがそうした示唆をするまでになる、こうした組織的粉飾は長年続きますし、粉飾方法も多岐にわたるのです。
下の人たちに言わせれば「やれと言われたからやったまで」であり、上の人たちは「お前らの業績が悪いから仕方なしに認めた」という言い分なんでしょう、そして社内で「不正なのでやりません」と言えるのかどうか、大変難しいところです。

だが、こうした粉飾はいつの日にか、必ず破綻します。
他で埋め合わせできた時代はいざ知らず、業績が伸びない時代にあっては帳尻が合わないままです。
個人的には前任者の責任にして逃げるとかありましょうが、これが全社的となるとどうしようもない。
明らかに破綻コースを進んでいたことは、東芝社内でも分かっていたのだと思います。
本件は内部告発によって露呈しますけど、じゃあ誰がババを引くのか、という火中の栗論に結論が出せないことに嫌気をさした人物が告発したのかもしれません。
今回、日本取締役協会が「社内情報を直接、社外取締役に伝える内部統制システムを早急に整備」と対策を出していることは評価します。
けれども、社内事情に疎い社外取締役が社内情報の機微に接して、果たして問題を察知することができるのだろうか。
社外取締役と言えば、疎いが故に本質とは外れたトンチンカンなことを言い出すことも多いと聞いています。
彼らの殆どが、経営チェックの訓練を受けたことがなく、経営者や弁護士としての自らの経験と勘だけが頼りなのだと思います。
まして、東芝のような大企業になれば事業は膨大な量なのですから、取締役会では全部に目が届きません。
まずは、不正は結果として会社にとって大きな不利益になるという根本的な理念を、具体的かつ論理的に全社に徹底させることから始めるべきではないでしょうか。
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2015年09月02日

五輪に水さすエンブレム問題

2日朝刊2面【総合1】社説2
 7月に発表されたばかりの2020年の東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムが、白紙撤回される異例の事態である。原作者の佐野研二郎氏が、他作品を模倣したとの疑惑はあくまで否定しつつ「五輪のイメージに悪影響が及んでしまう」などとして提案自体を取り下げた。
 すでに、一部のスポンサーなどはCMなどに使い始めており、影響は大きい。大会組織委員会は適切な対策を講じるとともに、世界中からアスリートやファンを迎えるにふさわしい、新たなデザインを早急に決め、信頼の回復を図るべきだ。
 エンブレムは、発表直後からベルギーの劇場側が「盗用だ」と指摘し、国際オリンピック委員会を相手に使用差し止めを求め、提訴していた。
 佐野氏は一貫して「事実無根」と独自性を強調し続けた。組織委も先月28日、原案や最終案を提示しつつ、修正の理由を説明して、疑惑を否定したばかりだった。
 専門家の間でさえ「あるデザインが模倣か否かの判断は極めて難しい」という。まして、一般国民の理解を得るのはさらにハードルが高い。
 インターネット上にはエンブレムの公表以降、佐野氏の他の作品も含め「似ている」との声が満ちあふれた。そうであればこそ、選考や修正の過程を含め、組織委は一連の経緯を迅速、かつ丁寧に開示すべきだったのではないか。
 エンブレムを選んだ審査委員らは模倣に否定的な見解という。しかし、組織委は1日の会見で「国民の支援がないものを使い続けることはできない」などとして、佐野氏の申し出を了承した。やむを得ない判断だろう。
 的確な情報の公開もなく、説明責任もなかなか果たされず、司令塔役も不在とは、先ごろ、整備計画のまとまった新国立競技場をめぐる混乱の二の舞いである。
 こんな体たらくが続いて、五輪を祝福するムードにかげりがでることを心から憂慮する。


佐野研二郎氏には、やや気の毒に思うところがあります。
この種のデザインやロゴ、タイポグラフィはバリエーションが無尽蔵にあるわけでもなく、世界中探せば似たようなものもあるでしょう。
まして、Googleの画像検索を使えば、わんさか候補が出てきます。
デザインが何であるのかを知らない人たちが、検索結果をネットで示して「ホラ、盗作だ」と言ってのける風潮もどうなのでしょうか。
デザインの世界では、これで何を表現するのかという本質論が重要で、東京五輪エンブレムとベルギーの劇場ポスターとのコンセプトは当然別ものなのですから、形而下的に似ているからと言って直ちに「盗作」ということにはなりません。
端的な例だと、コラージュという手法は明確に元ネタを流用する表現でありますが、これも最高裁判決では「許諾なく利用できるのは、他人の著作物の表現形式上の本質的な特徴を直接感得させないような態様において利用する場合に限られる」とあり、やはり司法でも盗作か否かは本質が問われているのです。
そもそも「デザイン」とは何であるのか、一般的にはポスターだとか工業製品だとか建築だとかに思われているのでしょう、しかし国家の制度設計から、自作の年賀状まで全てが「デザイン」なんですね。
即ち、人間の営みそのものが「デザイン」であり、その意味で私たちも「デザイナー」だと言えましょう。

デザイン論を押さえた上で、今回の問題の根源が何かと言えば、佐野氏のデザインがカッコ悪い、あるいはダサいということに尽きます。
日本を表現するのに取ってつけたような日の丸だとか、タイポグラフィで東京を表すとか、パラリンピックのにおいては遂に何を表現したのかよく分からない、「盗作」云々よりデザインに対する不満が根底にあるのだと思います。
しかし、機関決定されたことに対してカッコ悪いから取り下げろとかは当然無視されるので、「盗作」という新たな論点がネット上から出たのでしょう。
その上でダサいデザインを擁護すれば、それは利権じゃないかとか穿った見方も当然出てきます。
ここまで来ると佐野氏側のネットリテラシー云々とか、組織委員会が使用中止理由とした写真の無断使用問題はオマケでしかありません。
もし、これがカッコ良ければ擁護する声も大きかったでしょうし、佐野氏だって堂々と論陣を張れたと思います。
作品が悪いことが、全てだと言うことですね。
予見的に言えば、5年後には佐野氏のも「幻のポスター」として高値でネット取引されてるでしょうし、こんな騒動も多くの人が忘れ去り五輪が成功しているのですよ。
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2015年09月01日

野党再編、年内にらむ 民・維、月末にも協議会 橋下新党で加速

1日朝刊4面【政治】
 維新の党を離党した橋下徹大阪市長が新党結成を明らかにしたことで、野党が年内の再編をにらみ動き始めた。維新の松野頼久代表は民主党など幅広い勢力の結集を呼びかけ、再編の軸となる民主党と選挙協力をきっかけに合流の可能性を探りたい考え。橋下氏を支持する大阪選出議員らは10月の新党結成に向け維新執行部に「分党」を求める見通しだ。
 「自民党と対抗するため、野党勢力の結集に向けた協力が大事だ」。民主党の岡田克也、維新の松野両代表は31日、国会内で会談し、野党再編を念頭に置いた協議を始める方針を確認した。9月27日の通常国会閉会後に、選挙協力や共通の政策づくりに向けて協議会を立ち上げる。近く社民、生活の両党などにも党首会談を呼びかける。
 年内の再編を模索するのは、政党の政党交付金は1月1日時点の議員数などをもとに算出するためだ。合流などで年内に党の規模が大きくなれば交付金の額が増える。来年夏の参院選準備を進めるにも年内が期限との見方がある。
 再編の旗を振るのは松野氏だ。5月の代表就任直後に「100人規模の年内再編」を打ち出した。民主党だけでなく、生活の党や社民党、みんなの党出身などの無所属議員まで巻き込むことを考えている。
 維新の「非大阪系」議員を率いる松野氏や江田憲司前代表と岡田氏の関係は良好だ。安倍政権に批判的な姿勢も共有している。
 合流の壁は高いとの見方も多い。江田氏らは両党がいったん解党して新党をつくる「対等合併」を念頭に置く。民主党内は同党を軸とした吸収合併論が根強い。このため秋の臨時国会にまず基本的に同一行動を取る「統一会派」を結成する案が浮上している。


離合集散は政治の常ですけど、民主党政権が崩壊してからの政界で、どれだけの政党が生まれ、潰れ、今は誰がどの党にいるのかを把握している方は相当の政治マニアだと思います。
元気だとか、次世代だとか、いつの間にできたのかよく覚えてないぐらいだし、あの議員さんはこんな所にいたんだと改めて知ったような次第もあります。
かつて米英のような「政権交代可能な二大政党制」を目指すとして、小選挙区比例代表制が導入されましたが、現在の「一強多弱」などと呼ばれる状態は、「二大政党制」を理想とした方々からすれば異常であるのでしょう。
自民党と公明党の得票率が40%なのに対し、60%も得票しているのに野党なのは、票が分散してしまっているからではないか、だから「野党再編」すれば自公に勝てるというのが再編論の根拠のようです。
しかし、政党が分裂するにはそれなりの理由があったはずですし、新党立ち上げの際は崇高な理念だとか政策だとかを掲げ、これらを共有する人を集めたという大義があったと思います。
「反自民」とか「非自民」とかで「野党再編」するというのは、こうした大義を全部捨てて集まろうということではないですか。
過去にも細川連立内閣や新進党など、「反自民」「非自民」を叫号した政治勢力もありましたが、どれも長続きせず瓦解します。

そもそも論として、米英も含めてすでにイデオロギーが政党の凝集力にならない時代です。
イデオロギーで唯一頑張っているのは共産党ぐらいで、世界文化遺産に登録申請したいぐらいの骨董的価値を持ってますけど、他はだいたいが自由主義と民主主義を掲げ、そこに保守主義的な傾向が強いのか、社会主義的な傾向が強いのかぐらいの違いしかないのです。
教科書的には19世紀、資本家と労働者がそれぞれの立場を主張したのが政党の成り立ちだとされてますが、すでにそうした時代でないのは明らかだし、こうした立場の違いで政党を維持することもできません。
それは、「一強」と言われる自民党をみれば明らかで、彼らの政策は保守主義から社会主義まで全部包含してしまっていて、今の野党が入り込める隙が全くないのですね。
政権交代を繰り返してきた米英でも、共和党と民主党、保守党と労働党ともに政策的なスタンスに大きな開きはなく、逆に言えば現実的な政策はそれほど選択肢が多くないということでもあります。
こういう時代にあって、野党のあり方が問われているわけですけど、数だけ集めりゃいいやという安直さで何とかなるとは思えません。

先の自民党の例で言えば、現実政策はどうしても平均的というか左右の真ん中に収斂されていきますので、その右か左に位置取りするのが新党の戦略です。
日本の場合、左は共産党の指定席ですから、右しか席は空いていません。
共産党を「極左」と呼ぶならば、「極右」が空席ということになり、米英欧でもこの席の政党が一定の伸びを示しています。
自民党と代わり映えしない政策を掲げても、所詮は実行力で自民党に敵わない以上、思い切った先鋭な政策で勝負していくしか野党の立ち位置はないのではないかな、と思うのです。
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2015年08月31日

本社世論調査安保法案成立や原発再稼働「反対」5割超続く 幅広い層で内閣支持回復も… 

31日朝刊2面【総合・政治】
 日本経済新聞社の世論調査で、安倍内閣の支持率は7月の前回調査から8ポイント回復し、支持率が不支持率を下回る逆転現象も解消した。支持政党、性別、地域に限らず幅広い層で反転した。ただ安全保障関連法案や原子力発電所の再稼働など、政権の重要政策への理解は広がっていない。
 内閣支持率と不支持率は6月の水準に戻った。自民党支持層の支持率は86%で、前月から12ポイント上昇した。無党派層は3ポイント上がって20%だった。
 安倍晋三首相が14日に発表した戦後70年談話を巡り、中国や韓国などとの関係悪化は避けられた。談話への評価などが支持率の回復につながったとみられる。
 男性の支持率は前回の43%から54%へ上昇。女性も6ポイント上がって40%になった。首都圏と関西圏の支持率の合計は7ポイント上昇し46%。地方は10ポイント上がり、47%になった。
 安倍政権が重視する政策への見方はほとんど変わっていない。集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案については、今国会成立に「賛成」が27%で「反対」の55%を大きく下回った。賛成、反対とも横ばい。内閣支持層では賛成が49%で反対の33%を上回るが、不支持層では反対が84%に上り、賛成は5%にとどまる。無党派層も反対が64%で、賛成の16%を引き離している。
 日本が直接攻撃を受けていなくても、密接な関係にある他国が攻撃を受けた場合に反撃する集団的自衛権の行使について「賛成」は27%で「反対」は55%だった。
 11日の九州電力川内原発(鹿児島県)の再稼働を受け、原発再稼働の是非を聞くと「再稼働を進めるべきだ」は30%で「進めるべきでない」は56%。いずれも横ばいだった。
 交渉が大詰めを迎える環太平洋経済連携協定(TPP)は「合意するため妥協はやむを得ない」が2ポイント上昇の38%、「妥協するぐらいなら合意すべきではない」も3ポイント上昇の44%になった。
 世界同時株安を受け、市場に動揺が広がっている。経済政策「アベノミクス」を「評価する」は前月から1ポイント上昇の37%。「評価しない」は2ポイント低下の45%。どちらもほぼ変わらなかった。


支持率も株価も、上がることもあれば、下がることもあると言うことです。
しかし、政治は増税だとかの不人気な政策でも進めなければならない場合が多く、従って支持率に一喜一憂しても仕方ありません。
特に、安全保障政策は過去から現在までどれ一つ取っても、「国民からの理解が得られない」と言われ続けている不人気政策ですけど、支持率を気にして大衆迎合的にこうした政策から目を背けるのが果たして政治なのかと思います。
誰もが嫌がる仕事を率先してやるのが政治家の責務である以上、あとは歴史が是非を判断するしかないのです。

唯でさえ日本人の国民感情が高ぶる8月は、安保法案や原発再稼働、TPPに戦後70年に絡む中国・韓国の反応などに加え、世界経済の動向など支持率にとって、非常に厳しい月間だったのではないでしょうか。
安倍政権は、それを乗り越えたとも言えます。
来月には安保法案も成立しましょう、TPPも年内合意に向けて動き出しましょう、振り返ってみても一つ一つの課題に向き合って歩を進めてきたと思います。
いくら議会で多数を占めているからと言って、強引な審議は見られませんでしたし、第一に国民は堂々巡りの国会に飽きていますよ。
国民の関心が遠のいた方が与党としては結構なのでしょうが、結局、いつまでも揚げ足取りのような反対のための反対で喜んでいるのは野党ばかりで、国民はウンザリしているのです。
安全保障を賛成か反対かのような単純化することに一体何のメリットがあるのか、60年前の「安保反対運動」を思い出して貰いたいのです。
本当に残念だったのは、これだけ国際情勢が流動化している現在にあって、国家にとって基盤となる安全保障の議論が一つも深まらず、60年前よ再びよのように国会前のデモの様子だけがクローズアップされることです。
安保法案が「違憲」だと言うのならば、「改憲」に向けて動くわけでもない。
そういう人たちに限って、国際情勢の認識は何も語らないのですね。
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2015年08月30日

米外交の日本回帰3年説

30日朝刊2面【総合・政治】風見鶏 ワシントン=吉野直也
 「フミオ」。ケリー米国務長官は満面の笑みを浮かべながら岸田文雄外相を迎えた。今月6日のクアラルンプールの国際会議場の別室。岸田氏の地元、広島で70回目となる「原爆の日」式典があったこの日の日米外相会談で、ケリー氏は伝えたいことがあった。
 岸田氏が米CNN(電子版)で世界の指導者の被爆地訪問を訴えた寄稿にも目を通していた。ケリー氏は同式典での安倍晋三首相の演説を映像でみたと説明し、続けた。「来年4月に広島で開く主要国(G7)外相会合に出席する際は平和記念公園を訪れたい」
 米閣僚として初めて平和公園を訪問するという歴史的な意義もケリー氏の自尊心をくすぐった。岸田氏への伝達構想は会談の数週間前から温めていた。平和公園を訪れたいというケリー氏の希望を伝え聞いた菅義偉官房長官は即座に「訪問するのであれば、歓迎すべきことだ」と呼応した。
 米国務長官の動きには、ひとつの周期があるといわれる。最初に中東問題に取り組む。うまくいかず、次に中国にシフトする。やはり勝手が違い、引き下がる。そして3年目にして日本に戻ってくるという「日本回帰3年説」だ。
 実際、2013年に国務長官に就任したケリー氏がまず突っ込んだのは、イスラエルとパレスチナ自治政府の中東和平交渉だった。米国の国益に直結する中東への米国民の関心は高い。国務長官が和平交渉に挑みたくなるのは、国内事情でもある。ケリー氏の仲介で中東和平交渉は再開したが、首都と定める聖地エルサレムの帰属などでまとまらず頓挫した。
 次に興味を示したのが軍事、経済で影響力を増す中国だ。オバマ米大統領と中国の習近平国家主席との米カリフォルニア州南部の避暑地サニーランドでの会談も実現した。その後、中国は東シナ海上空に防空識別圏を設定。いまでは南シナ海で人工島を造成して領有権を主張する始末だ。
 中東や中国に傾倒するケリー氏の姿勢は当初、「日本軽視」とみられた。今年に入ると事務方の頭越しに、日本訪問を口にするなど一変した。ケリー氏の足跡は日本に回帰するまでに3年かかるという説を裏書きしているようにも映る。
 イランとの核合意はケリー氏が主導したが、米野党・共和党は強硬に反対しており、評価が定まるには、時間がかかる。ほかの外交懸案を見渡しても北朝鮮の核問題や過激派組織「イスラム国」掃討など得点に結びつきそうにない。日本回帰は自然な流れでもある。
 3年目で回帰したあと、4年目はどうなるのか。オバマ氏の2期目の最終年に当たる来年は5月末に三重県志摩市で開くG7首脳会議の前後に広島を訪れるかが焦点のひとつだ。
 「核兵器なき世界」を掲げるオバマ氏の「レガシー(政治的な遺産)」づくりを踏まえ、米国務省はG7首脳会議について広島開催の検討を求めた。日本は警備の問題などを理由に志摩市に決めた。G7首脳会議というお膳立てをした中でのオバマ氏の広島訪問に複雑な気持ちもあった。
 オバマ氏に訪れる意思があるなら、志摩市からでも来てほしいというのが日本の本音だ。米政府はそんな日本の微妙な空気を察知し、ケリー氏の平和公園訪問に切り替えた。
 ケリー氏の1カ月半後にオバマ氏が訪れることに米政府内では慎重論が多い。ケリー氏は岸田氏との会談でオバマ氏の広島訪問に一言も触れなかった。米国の3年目の日本回帰で深化する日米関係が4年目にどこに向かうのか。その明確なシナリオは、まだない。


「日本回帰3年説」、面白い説ですけど日米間には中東や中国のような外交的懸案事項があるわけではないので、上手く言っていて当たり前の関係ですとホワイトハウスの得点になることはありません。
従って、これも天動説みたいなもので、日本を中心にアメリカの顔がどこに向いているのかを気にしている、メディア特有の見方だと思います。
しかし、オバマ外交が大失政続きなのは事実で、この7年間のツケは相当重いものです。
「核兵器なき世界」でノーベル平和賞を貰った1期目のことを誰が覚えてましょうか。
核兵器廃絶を呼びかけた米ロの関係はソ連崩壊後最悪の状態で、ついにはクリミアとウクライナの併合まで行われてしまいました。
中東・アフリカでも「アラブの春」などと民主化運動を炊きつけてきたのに、結果は途方もないテロと100万人を越える難民を生み出し、欧米の言う民主化とはこれなのかということです。
「世界の警察官」を降りると宣言した途端に、中国は海洋への進出を早め、シリアとイラクではフセイン残党たちがイスラム国樹立を宣言するなど、国際的秩序は著しく乱れています。
北朝鮮に至っては六者協議は一度も開催されず、金王朝の核開発は誰からも邪魔されず着々と進捗しています。

歴代大統領のレガシーづくりに欠かせないのは、イスラエルとパレスチナの和平交渉ですけど、これもイランとの核開発協議に不満なイスラエルとオバマ政権は徹底的に対立し、和平交渉どころではありません。
米外交は内政とリンクしていることが多く、パレスチナ問題では米国内のユダヤ票と結びついてます。
ご案内のとおり、米社会では金融やマスコミはユダヤ人閥で形成されており、こうした権力層を敵に回しているのが来年の大統領選にどう出るかが問われています。
人権問題を積み残したままのキューバとの国交正常化でもホワイトハウスは悦に入ってますけど、いまだに隠然たる力を持つ亡命キューバ人社会や保守層からは大変不評です。
どこかで上手くいった外交があったのか、と思うのですけど、それで日本に回帰してきて貰っても困ります。
広島に誰が来るかは日本にとって然程重要な問題でなく、むしろオバマ政権のパフォーマンスのために使われるだけでしょう。
「歴代大統領が誰もやらなかったことをやった」というのを自分たちのレガシーにしたい、そういう底の浅い外交では歴史に名は残りませんよ。
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2015年08月29日

橋下氏「大阪で国政新党」構想表明 維新の分裂加速

29日朝刊1面
 維新の党を離党した橋下徹大阪市長は28日夜、代表を務める地域政党「大阪維新の会」の会合で、11月の大阪府知事選、市長選のダブル選挙での勝利を前提に、大阪で国政政党を結成する構想を表明した。政界引退を表明している橋下氏が国政に転身する受け皿になる可能性もある。維新の党の分裂状態が加速し、橋下氏に近い安倍晋三首相の政権運営や野党再編の行方に影響を与えそうだ。
 会合に出席した複数の国会議員や地方議員が明らかにした。
 出席者によると、橋下氏は11月22日投開票の大阪府知事と市長の同日選挙で、5月に住民投票で否決された大阪都構想を再び掲げる方針を表明した。
 そのうえで「東京と大阪を二極化するには、大阪も政治力をもっておかなくてはいけない」と強調し、ダブル選での勝利を前提に新党を結成する意向を示した。地域政党の大阪維新を国政政党化することが念頭にあるとみられる。
 維新に所属する国会議員は51人。江田憲司前代表、柿沢未途幹事長ら旧結いの党系が10人強、松野頼久代表ら民主党出身議員が10人強を占める。残りは大阪選出議員をはじめ、橋下氏に同調する議員が大半。これらの議員が橋下氏の新党構想に賛同する可能性がある。
 橋下氏は最高顧問を務めていた維新の党を、山形市長選をめぐる党執行部との対立から27日に離党。その際、記者団に「党を割るつもりはない」としていた。ただ大阪では強い選挙基盤を維持しており、国政進出をうかがう思惑もくすぶる。橋下氏自身は5月に大阪都構想が住民投票で否決された際、市長任期が終われば、政界を引退すると表明している。


イメージとしては、府知事を辞めた時のように橋下氏が新大阪市長をリモコンしながら、ご本人は国政政党の党首として再び「大阪都構想」を掲げて、次の参議院選挙に立候補するということでしょうか。
大阪の人も随分と舐められたものですけど、大阪は大阪なりに東京や政治に対する鬱屈感があるのに違いありません。
しかし、橋下氏の考え方というのは、この「地方創生時代」にあって、かなりピントのずれたものじゃないかと思いますね。
大阪を何とかしようという心意気は大いに結構ですけど、それが都構想だとか、政党だとか、国政だとか時代の流れと逆のベクトルにエネルギーを一生懸命注ぎ込んでいる、実にもったいないことです。

彼が政治を志す発端は「府と市の二重行政解消」だったはずですが、これは知事と市長を手の内にしたのですから、大阪都なんかにしなくても解消できた問題です。
ところが、「東京と大阪を二極化」していくという、誰の発想かは知りませんけど、いつまで経ってもこんなことを言ってるのかなと思います。
大阪都にすれば、東京と大阪が二極化して大阪バンザイということなのでしょうか。
大阪が経済的に地盤沈下しているのは、大阪での経済活動が魅力ないからです。
それは都構想とは関係なく、地元の行政や経済界の問題だと考えます。
まちの魅力というのは、経済だけでなく人々の暮らしや治安、文化、歴史、自然という総合的なものであり、そこに惹かれて人が集まり企業が集まりということになります。
東京というのは、結局はあらゆるものが集まる「集積のまち」なのです。
「都」だからではないし、それに対抗する意味もありません。
都構想などという、元役人たちが机上で考えたような代物に血道をあげるより、大阪にしっかり根ざして大阪を変えていったらいいじゃないですかね。
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2015年08月28日

大学入試改革はどこへいく

28日朝刊2面【綜合1】社説2
 いったいどんな入試に生まれ変わるのか、まだまだ具体像が見えない。大学入試センター試験にかわる新たな制度について、文部科学省の「高大接続システム改革会議」が中間まとめを公表した。
 議論が拡散するなかで、中間まとめは新制度への本格的な移行はこれまでの方針より4年繰り延べるよう求めた。こんどの入試改革の多難さを示す展開である。
 高校の学習指導要領改訂に合わせ、在学中の学力を測る「基礎学力テスト(仮称)」は2023年度から、新たな共通1次選抜となる「学力評価テスト(仮称)」は24年度から本格的に実施するという。このくらいの準備期間を置くこと自体はやむを得まい。
 もっとも、本格実施までの4年間は試行期間と位置づけ、2つの試験はとりあえず19年度、20年度にスタートする。段階的移行といえば聞こえはいいが、試験内容や実施体制を「走りながら考える」わけだ。受験生や高校側を振り回すことにならないだろうか。
 実際にこの中間まとめでは、出題方式や成績提供のあり方など、肝心の部分が昨年末の中央教育審議会答申からさほど具体化していない。たとえば、かねて注目の記述式問題は採点事務がネックとされてきたが、今回も明確な対応策は示されないままだ。
 コンピューターによる採点支援も探るというが、長文を正確に採点するシステムが開発されているわけではない。記述式問題を出題したい、という意気込みだけが先行しているようだ。このままでは理念倒れに終わるだろう。
 受験機会の複数化や1点刻みの成績評価からの脱却など、入試改革の大きな方向性は間違っていない。しかし具体論が伴わず、現実的な落としどころも定められないのではせっかくの改革が迷走を始める恐れがある。
 そもそも大学入試改革は、共通のテストとともに各大学の個別試験の見直しも重要な課題だ。この点も含めて、さらに突っ込んだ検討が必要だろう。


大学入試のテクニカルな部分は、正直言ってよく分かりません。
ただ、大学全入時代と言われてるならばこそ、まずはその大学で学ぶだけの最低限の学力は担保した人を選抜する必要はあると思います。
バカに何を教えても理解できないだけであって、それこそ学生にとっても大学にとっても不幸なんですね。
従って、共通一次試験のようなレベル分けは日本の大学制度を維持するためにも不可欠だと思いますが、しかしAO入試とかいろいろ別ルートはあるようで、果たしてこれで日本の知力は高まるのかと思います。

学生のレベルより問題なのは、大学で何を教え学ぶのかという根源的な話は「大学自治」「大学経営」という美名の下に行政もアンタッチャブルとなっています。
かつて岡崎久彦大使が嘆いていたように、日本の一般大学で「経営戦略論」はあれど外交安全保障を学ぶ「戦略論」やその根底をなす「戦争学」「軍事学」「ミサイル工学」などを教える所が防衛大学以外にない、というのは未だに変わっていません。
きっと左翼の方々からは、「戦争を無垢な学生に教えるなんて何てオゾマシイ!」という大批判はありましょう、しかし「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」という故事のとおりで、平和は「9条」を唱えていればやってくるものじゃないというのが現実社会です。

確かに日本の戦前では戦略なんてのは秘中の秘であり、司令官や参謀の教育機関である陸軍大学、あるいは海軍大学のような限られた統帥養成においてのみ教えられたものでした。
しかし、例えば戦艦陸奥の主砲口径がどれぐらいで、その国際的影響力がどうなのかぐらいは当時の小学生でも知っていた「常識」でした。
ところが、戦後は「平和教育」あるいは「反戦教育」として、戦争の悲惨さと不戦の誓いのみを教条的に子供たちに教えるという戦前の反動が今まで続いてきました。
これこそ信心みたいなものです、左翼が言う「反知性主義」の最たるものだと思います。
今日の日米戦略なんてのは防衛白書や公開文書を読めば誰もがわかることで、こうした透明性が抑止力となるのが現代の戦略と呼ばれるのです。
しかし、中共の戦略はいまだ詳らかにされてないにも関わらず、まだ「9条」があれば日本は平和みたいなお花畑は一体どうしたことなのでしょうか。
このような「無知性主義」ならば、戦艦陸奥の主砲口径がどれぐらいかなの方が遥かに国際情勢に通じています。
入試も然ることながら、最高学府で何を教えるのか、こちらの方が本論じゃないかと思いますね。
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2015年08月27日

朴大統領、中国抗日式典で軍事パレード参観 韓国発表、対中関係重視浮き彫り

27日朝刊7面【国際2】
 【ソウル=小倉健太郎】韓国大統領府は26日、9月3日に中国が北京で開く「抗日戦勝70周年記念式典」で朴槿恵(パク・クネ)大統領が軍事パレードも参観すると発表した。日米欧の主要国首脳がそろって式典そのものへの参加を見送るなか、中国を重視する韓国の姿勢があらためて浮き彫りになった。
 安倍晋三首相や米国のオバマ大統領、欧州首脳らは式典に参加しない立場だ。韓国は20日に朴氏が式典に参加すると発表した後もパレード参観は検討中だとしていた。米国は「中国にとりこまれないように」などと韓国に警告していた。
 韓国大統領府は朴氏が軍事パレードを含む抗日式典参加に関する理由として(1)近隣国家である中国との友好協力関係を考慮(2)中国が朝鮮半島の平和と統一に寄与することを希望(3)(式典は)我々の独立抗争の歴史をたたえる側面がある――などを挙げた。
 米国の懸念や国内保守派の反発にもかかわらず最終的にパレード出席を決めたのは中国の強い要望に応えるためだ。韓国にとって中国の重みは年々増している。最大の貿易相手国であるという経済的な理由に加え、北朝鮮問題で影響力に期待している面もある。南北間では今月も地雷爆発で韓国兵が重傷を負ったのを機に一時、緊張が高まった。
 大統領府によると朴氏は2日に習近平国家主席と首脳会談を開く。3日に軍事パレードを含む抗日式典に出席した後、上海に移動。戦時中の「大韓民国臨時政府」庁舎の再開館式に参加する。北京での式典には韓国としては初めて軍の代表団も派遣する。
 中国は9月3日の軍事パレードを国威発揚の場として利用する構えだ。軍内の習近平指導部の求心力を高めるうえでも極めて重視している。なるべく多くの首脳に参加してもらおうと早い時期から各国に呼びかけていた。
 中韓は朴氏が大統領就任以降、「過去最高」といわれるほど良好な関係を維持している。今回の式典でも中国内では朴大統領の参加への期待が高まっていた。習主席には9月の訪米を前にアジアでの中国の存在感を示す狙いがあった。
 韓国は一方で、米国にも配慮を示している。朴大統領の抗日式典出席を発表する前に、10月に米韓首脳会談を開くと発表。2カ月以上先の日程をわざわざ公表した。26日も尹炳世(ユン・ビョンセ)外相が30、31日に米アラスカ州で開かれる北極評議会の外相会議に出席し、米国のケリー国務長官とは個別に会談すると発表した。
 朴大統領は2日の中韓首脳会談で、10月にも日中韓首脳会談を韓国で開催したい考えを伝える方針だ。東アジアの安定に向けた外交で発言権を維持したい狙いがある。習主席から会談への前向きな返事を引きだすことで、歴史問題での「中韓共闘」への懸念を示す日米の理解を得たい考えだ。
 日中韓首脳会談を開けば日韓2国間の首脳会談も開く可能性が高い。訪米を前に日韓関係改善に取り組む姿勢を米国にアピールする効果もある。


「大韓民国臨時政府」にしても、休戦中とは言え朝鮮戦争の敵国の軍事パレードに「独立抗争の歴史をたたえる」と出席するにしても、歴史的経緯からすると噴飯もののパフォーマンスですね。
どうしてこの国は歴史を直視しようとしないのか、フィクションだと知りつつも「日本と戦って独立を勝ち得た」という物語を掲げるのか、そして中国の前では卑屈になるのか、本当に不思議な民族です。
呉善花氏によれば、数えられるだけで中国から千回に及ぶ侵略を受けつづけけてきたそうで、中国に頭が上がらない遺伝子と記憶が組み込まれているのかもしれません。
朝鮮戦争の時も、義勇軍という名で中共軍が攻め入った際に、彼らが突撃しながら吹き鳴らすチャルメラを聞いただけで、韓国軍の戦線が突如崩壊し、危うく米軍主力が包囲殲滅されるところだったという逸話もあります。
もともと、アメリカは朝鮮を疑っているところがあり、李承晩らの「大韓民国臨時政府」未承認問題にしても、そうした不信感が背景にあると言われています。

しかし、朝鮮戦争を契機に米韓が同盟して朝鮮半島の安全保障を担保してきたわけで、その60年の歴史は評価すべきです。
韓国が著しく経済成長し、今や世界有数の輸出大国になったのも、米韓同盟による半島の安定であり、日本からの支援の賜物でありと、これはフィクションではないのです。
自分に都合のいいフィクションは信じ、事実からは目を背ける、これでは誰からも信用されません。
そうした意味で、朴槿恵大統領はフィクションを元に、韓国が米中のバランサーになろうとしているのではないか、と思わざるを得ません。
「韓米中の三角関係」と、いかにも韓国が米中並みのパワーと影響力を持つかのような感じですが、これも虚構です。
アメリカどころか中国も朝鮮を信じていない、信じていないというより、冊封体制における宗主国と朝貢国の関係だという捉え方ですね。
歴史的、地政学的に朝貢というのは大国に隣接する小国が生き残るために仕方がないことですけど、客観的にみれば韓国は米中のバランサーにならないどころか、アメリカからはこれはいよいよ信用できないと見られ、中共からは都合よく使ってやろうという目で見られるわけです。

韓国一国のお話しであれば、それでもいいのですが、極東の安全保障環境にとっては非常に拙い情勢です。
台湾もそうですが、ここのところ中共の磁場が強く、かつての朝貢国がどんどん宗主国に引き寄せられている、南沙諸島や西沙諸島など東南アジア諸国も中国と争ってはいるが、中国パワーが更に強大になると争うことを諦めてしまうのではないか、歴史を振り返るとそうした未来も見えてきます。
従って、日米の戦略としてはこのまま韓国を中国側に追いやるのは得策でなく、次期韓国大統領でなんとか自由主義陣営に引き戻さねばなりません。
面倒くさい話しですが、我が国の安全保障に直結するのですから仕方がありません。
posted by 泥酔論説委員 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月25日

春秋

25日朝刊1面
 事件の報道に「防犯カメラ」が目立ち始めたのは1970年代の半ばごろだ。最初は金融機関での強盗や詐欺の話が多い。当時の新聞の見出しを拾えば、「カメラがバッチリ」とその効果を伝えるものや「写らなかった!」と嘆いているものなど様々あって、興味深い。
▼存在を強く印象づけたのは84年のグリコ・森永事件。スーパーのカメラがとらえた野球帽姿の不審な男の映像が公開され、話題になった。いまやカメラは捜査に欠かせない武器である。大阪府寝屋川市の中学1年生の男女2人が遺体で見つかった事件でも、死体遺棄の疑いで捕まった男を割り出したのは防犯カメラだった。
▼この事件では容疑者だけでなく、深夜から未明にかけて商店街を行き来する被害者2人の様子もカメラが映していた。その映像が繰り返しニュースで流された。まだ幼さの残る姿。体力も経験も乏しく、社会に潜む悪意に気づいていないであろう2人を、この後凶悪な事件が待ち受けていたのだ。そう思うと胸が痛くなる。
▼捜査に役立つカメラも、名前に付けられたほど「防犯」には期待できない。地域や社会のつながりが薄れ、お互いを見守る力が弱くなったと言われて久しい。子どもたちを守り育てるのは、大人の優しく厳しいまなざしだろう。行く当てもなく街をさまよう子どもを見つめているのが、カメラだけというのでは悲しすぎる。


かつて防犯カメラが普及し始めた頃、「プライバシーの侵害だ」とか「監視社会になってしまう」という批判がメディアや左派勢力から出されました。
それはそれで尤もな部分もありますが、しかし犯罪などに対する効果があるのは今回の事件でも明らかです。
個人への不利益と社会的便益とを比較衡量して、社会的便益の方が高いならば、これを優先させるべきでしょう。
結局、犯罪捜査や抑止効果という社会的便益は回り回って個人にも便益となるのですから、どちらを優先させるかは自ずと分かりそうなものです。

「捜査に役立つカメラも、名前に付けられたほど『防犯』には期待できない。地域や社会のつながりが薄れ、お互いを見守る力が弱くなったと言われて久しい」、と春秋子は嘆いてますけど、果たしてそうでしょうか。
カメラの存在を表に出して防犯を意識させることより、何処にでもカメラがあることを人々が認識すれば、「捕まってやろう」という人以外は逮捕のリスクを相当覚悟せざるを得ません。
潜在的犯罪に対する抑止効果を数字として出せというのは無理筋で、「期待できない」というのがどういった根拠なのかよがくわかりません。
一方、「見守る力」というのもメディアが大好きな言葉ですが、これも言われてる程のことなんでしょうか。
都市部はどう転んでも地域の繋がりが弱くなるのは、古今東西の常です。
それを嘆いても仕方ないのですけど、今回もコンビニで二人の子供を見かけ、話かけた人がいました。
しかし、それ以上の接触をしたら逆に犯罪だと言われかねないのも事実です。
「プライバシーの侵害」などと人と人との間合いが難しい以上、それと相反する「見守る力」に期待するのは、出来ないことをさも出来るかのように言ってるのと同じです。
「カメラだけというのでは悲しすぎる」というは、ノスタルジーに浸っているだけで、何も語ってないように思えますね。
posted by 泥酔論説委員 at 08:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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