2015年12月18日

金融政策 脱・危機へ一歩 米先行、9年半ぶり利上げ 市場、ひとまず好感

18日朝刊1面
 米連邦準備理事会(FRB)が16日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で9年半ぶりの利上げを決めた。政策金利の誘導目標を「ゼロ」とする危機対応型の政策から脱却する。主要国の株式相場はほぼ全面高となったが、今後も続く米利上げは減速する世界経済には重荷だ。軟着陸するかが焦点になる。
 米利上げを受けた世界の金融・資本市場は、株式や新興国通貨などリスク資産を買う動きが活発になった。
 米連邦準備理事会(FRB)のイエレン議長が利上げに踏み切る一方、引き締めを緩やかに進めると強調し、米景気回復と緩和的な環境の継続を期待する市場関係者を安心させたからだ。米経済の成長鈍化、新興国からのマネー流出など利上げの副作用が懸念されてきたが、「金融政策を巡る霧が晴れ、リスクを取る動きが出てきた」(野村証券の明渡則和執行役員)。
 17日の東京市場では円安・株高が進んだ。日経平均株価は前日比303円(1.6%)高と続伸し、終値は1万9353円と8日以来の高値水準になった。円相場は1ドル=122円台後半と1週間ぶりの安値を付けた。
 海外市場でも、リスク資産にマネーが再流入した。前日の米ダウ工業株30種平均は1%高と3日続伸し、17日のアジア市場でもインドネシア株や台湾株が2%弱の上昇となるなど全面高となった。17日の欧州市場はドイツ株、フランス株が約3%高く始まった。
 外国為替市場では新興国通貨が軒並み強含んだ。ブラジルのレアルは年初から対ドルで3割下落し、16日も国債の格下げで弱含んでいたが、米利上げが決まると格下げ前の水準に上昇した。17日にかけてインドのルピーやトルコのリラも買われた。
 世界の市場が落ち着いた反応だったのは、2013年5月にFRBのバーナンキ前議長が量的金融緩和の縮小を示唆してから2年半が経過し、市場が利上げへの備えを進めていたことも大きい。


「出口戦略」と呼ばれる、ゼロ金利政策緩和が非常に難しいことを物語っています。
結局、バーナンキ氏がFRBとしてコミットしていた物価目標値も未達ですし、GDPも2%という低成長のままです。
「米経済は十分強い。利上げの条件は整った」、というイエレン議長の発言は、額面どおりに受け取れません。
しかし、オオカミ少年じゃありませんが「上げるぞ」「上げるぞ」と利上げの示唆を続けてきたのに、そのたびに景気の腰が折れ、先送りにしてきたFRBを市場がそろそろ信用しなくなってきたという焦りがあったのだと思います。
かつて、「市場との対話」で名を馳せたグリーンスパン氏が議長時代は、実際の政策より彼の発言ひとつで市場が動いていたもので、FRBの権威というのがどれだけ高かったのかということです。
もちろん、バーナンキ氏やイエレン氏が学者出身なのに対し、グリーンスパン氏はビジネス界出身という違いもあるのでしょう、しかし金融当局が単なる金利操作機関だけでなく、コミュニケーションによって政策を浸透させ、経済をコントロールしていく極めて政治的な役割を果しているのです。
従って今回の利上げも、実際の金利そのものよりメッセージ性の方が強く、そろりそろりだが「脱・危機」に向けて動き始めましたよというコミュニケーションの一つなんだと考えます。
ですから、年4回のFOMCで機械的、段階的に利上げしていくのでなく、様子をみながらの操作となるのでしょう。

こうしたアメリカの動きに、日本のメディアや政治が反応するのが心配ですね。
「いつまで異次元緩和を続けるのか」から始まり、「財政ファイナンスじゃないか」やら「このままだとハイパーインフレになる」やらのトンチンカンな批判がまた出てきそうです。
日本はリーマン・ショック対策として、麻生内閣で大きな経済財政政策を打ち、それが奏功する頃に政権交代となりました。
ところが、極端な円高・デフレ進行を止めず放置した民主党政権と白川日銀総裁によって、3年以上も空白の期間をつくってしまったのです。
ようやく、自民党が政権を奪還しアベノミクスで失地回復を試みていますが、米欧の危機対応に較べて3年は遅れてしまっていると言っていいでしょう。
アメリカですら、低空飛行からヨロヨロと上昇しようかという有様ですから、日本の「脱・危機」は早くてもあと3年後、消費税増税の影響やオリンピック景気の具合も勘案しながらの判断です。
政府と日銀は「時期尚早」として、批判を撥ね付ける必要があります。
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2015年12月17日

「民主主義のコメ」として

17日朝刊2面【総合1】社説2
 2017年度からの消費税率引き上げ時の軽減税率導入で、宅配の新聞が適用の対象となった。単に税にとどまらず、広く民主主義のあり方にも絡むテーマとしてとらえたい。
 この問題をかんがえるとき参考になるリポートがある。日本新聞協会の諮問を受けた法学者らによる「新聞の公共性に関する研究会」(座長・戸松秀典学習院大名誉教授)が13年9月にまとめた「新聞への消費税軽減税率適用に関する意見書」がそれだ。
 「新聞は誇るべき日本の文化である」「新聞は日本全土のいたるところでサービスを受けられるようになっており、このユニバーサル・サービスこそが日本の民主主義の支柱であり、基盤である」と新聞への軽減税率の適用を是認した内容である。
 「民主主義のコメ」としての新聞の位置づけだ。これは決して特別なことではない。欧米先進国で新聞に減免制度が導入されているのをみれば分かる通りである。
 背景にあるのは、民主主義が成り立つために言論・出版の自由が保証されていなければならないという考え方だ。前提になるのは思想の自由市場論である。多様な言論が繰りひろげられることを通じて、真理や誤りがおのずとえり分けられていき、合理的な結論に達するというものだ。
 そのためには新聞は綿密な取材による真実の探求を通じて、政府や企業などの統治に鋭く目を光らせ、権力をチェックする役割を果たす必要がある。
 民主主義の一翼を担うジャーナリズムとして存在するのが何より大事になることを、その仕事に携わる言論人は肝に銘じなければならない。
 ただ書籍・雑誌は有害図書排除の仕組みをどうつくるかなども考慮しつつ「引き続き検討する」にとどまった。活字文化を守り、知識への課税を最小限にとどめていくという視点も忘れてはなるまい。これは何も紙のメディアだけに限られたものではないだろう。


誰が見ても、「口封じ」のための軽減税率適用だと思うのです。
「活字文化を守り、知識への課税を最小限にとどめていくという視点も忘れてはなるまい。これは何も紙のメディアだけに限られたものではないだろう」、とかのアリバイ工作ぐらい偽善はありません。
これで新聞各社が軽減税率に異を唱えることがあれば、ただでさえ購読数が減っている中で自分で自分の首を締めることなります。
従って、本音は「嬉しい」の一言でしょ。
だが、「民主主義のコメ」とか言ってますけど、このネット時代において新聞が果たしている役割が「民主主義の支柱」となっているのか、相当の疑問があります。
例えば、朝日新聞の所謂「従軍慰安婦」報道のような、長年にわたる捏造記事が「民主主義のコメ」とか「民主主義の支柱」なのでしょうか。
あるいは、先の安保国会の時に「若者のデモ」とかをクローズアップする手法、マイナーな運動にも関わらず、まるで全国民的な運動かのように感じたのは、犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになるのと同じで、稀な出来事を繰り返し報じることにより、あたかもメジャーな出来事のように仕立ててしまうのです。
これらは明らかに、最初から政治的、思想的スタンスありきで、それに沿うよう記事を作ってきた結果ではないのか、事実がなくても作文しちゃえばいい、トリミングしちゃえばいい、どうせ誰も検証のしようがないし、自分たちがやってることは「正義」であり、「大きな正義」のためには「小さな演出」も許されるという考えがメディア全体にはあるように思えてなりません。
かつて、公正中立を謳う放送局のドキュメンタリー・プロデューサーが、企画の下調べをする前にとんでもない「結論」を滔々と語り始めたのをみて、この御仁は自分の中で組み立てたストーリーに都合のいい素材を撮りたいだけだ、と感得したものです。
国民には、こうしたメディアの欺瞞性が見えてしまっている、いくら「民主主義のコメ」だと自称しようが、民主主義という正義の名の下に歪んだ記事を垂れ流し続けてきているじゃないか、この不信感が拭えないのです。
社説は自社の言い分なのだから、何をどう書いても自由です、しかし事実を事実として報じる記事ベースで捏造されたり、偏向されたりしたら、読者は何をもって正しいと判断できるのかということです。
洗脳という言葉で悪ければ、記事によって世論を誘導しようとしている、勿論、複数紙を丹念に読めば整合がとれない記事も多いので、何かがあるなと感じることもできましょう。
しかし、忙しい日常生活を送ってる多くの人が、そんなヒマな真似はできないないわけで、とにかく短い時間で事実を事実として捉えたいだけに新聞やらテレビやらネットを見ているに過ぎません。
その事実から得られる感触や考えや判断は、各人に任せておくことこそ民主主義なんだろうと思うのです。
親切なのかお節介なのかはよく分かりませんが、「俺らが正しい道を教えてやるよ」とばかりの報道は辟易としますし、だから新聞離れ、テレビ離れになっていることにメディア諸氏は極めて無自覚です。
昨日の朝日新聞社説では、「私たち報道機関も、新聞が『日常生活に欠かせない』と位置づけられたこと重く受け止めねばならない。(中略)社会が報道機関に求める使命を強く自覚したい」、などと殊勝なことを書いてますが、「社会が報道機関に求める使命」を一番に裏切っているのは新聞そのものじゃないですかね。
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2015年12月15日

スター・ウォーズ 強み結集 ディズニーの革新+ルーカスの伝統

15日朝刊9面【グローバルBiz】
 米メディア大手ウォルト・ディズニーが18日、人気SF映画「スター・ウォーズ」の新作「フォースの覚醒」を公開する。2012年のルーカスフィルム買収から3年。周到に準備された10年ぶりの新作にはルーカスフィルムが培ってきた伝統と、革新的であり続けるディズニーの強さが凝縮されている。新技術、外部資源の活用、ファン対応。新作から見える3つの強さを探った。(略)

3つの強さとは、「新技術に投資 仮想現実を体験」、「外部のアイデア導入 無名VB、ロボ開発」、「愛好家を社員に ファン目線で魅力発信」ということだそうで、要するにディズニーのビジネスモデルである、マーチャンダイジングで儲けようということだと思います。
ジョージ・ルーカス監督自身は、一作目から作品の面白さで売ってきたわけで、そこにはテーマ深さと物語の広がりや特撮アイデアの豊富さ、それに登場人物の魅力という、映画本来の力を最大限に発揮させて観客を惹きつけようとしてきました。
これは、映画の王道です。
しかし、元来からキャラクターの商品化でビジネスしてきたディズニーにとっては、映画はキャラクターを創り、売るためのプラットフォームの一つに過ぎず、本番はマーチャンダイジングなんだよということでしょう。
確かに、「スター・ウォーズ」のような大作になると、興行収入だけは投資を回収できず、大規模なマーチャンダイジングを展開する必要に迫られます。
ディズニーにはそれをグローバル規模で実行できるノウハウとチャネルがあり、「スター・ウォーズ」はそれにピタリと嵌る作品だということです。
おそらく、各地のディズニーランドの「スター・ウォーズ」アトラクションである「スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー」を、2019年までリリースされる作品に併せてリニューアルしてくるのでしょうし、専門ショップやパレードやショー、そしてイベントに登場するのだと思います。
したがって、キャラクターもストーリーもディズニーのマーチャンダイジング戦略に沿って造形されていくのでしょう。
映画が映画だけで成立しているのでなく、マーチャンダイジングが資金面で欠かすことができず、それが可能なのはハリウッドしかないということでもあります。
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posted by 泥酔論説委員 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする