2015年12月19日

韓国の言論の自由に疑念残る

19日朝刊2面【総合1】社説2
 日韓の関係改善を妨げる障害がひとつ取り除かれたことは歓迎するが、韓国の言論の自由への疑念が払拭されたわけではない。朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を傷つける記事を書いたとして在宅起訴された産経新聞の前ソウル支局長の判決公判で、ソウル中央地裁が無罪判決を言い渡した。
 問題となった記事は、朴大統領が昨春の旅客船沈没事故の当日、元側近の男性と会っていたとのうわさに言及したもの。昨年8月に同紙のウェブサイトに掲載され、韓国の市民団体が刑事告発した。検察当局は名誉毀損罪で前支局長を在宅起訴し、裁判では懲役1年6月を求刑していた。
 地裁は今回、無罪判決の理由として「公人である大統領を中傷する目的だったとみるのは難しい」「記事内容に不適切な面はあるものの、言論の自由の領域内に含まれる」などの点を挙げた。その判断はおおむね妥当だろう。
 日韓関係をぎくしゃくさせたこの問題は今回の無罪判決で決着するとみられるが、一連の経緯には苦言を呈さざるを得ない。
 まずは韓国検察の対応だ。確かに、さしたる根拠もなく風聞に基づいた記事に問題がないわけではないが、報道を対象に刑事責任を追及するやり方は度を越した。
 次に、朴大統領のイニシアチブの問題だ。「被害者」の大統領が当初から寛容な姿勢を明示していれば、前支局長は起訴されず、日韓を揺るがす問題に発展することもなかっただろう。
 さらに、司法の独立性の面でもいぶかしさが残った。地裁は公判の冒頭で、大局的に善処すべきだと主張する日本への配慮を求めた韓国外務省の要望書を読み上げる異例の一幕があったからだ。
 今回の騒動で、韓国が言論の自由を制限する国との疑心を生んだことは否定しがたい。同国では最近、旧日本軍の従軍慰安婦問題を論じた「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授も名誉毀損罪で在宅起訴されている。改めて憂慮を禁じ得ない。


「言論の自由に疑念残る」も何も、韓国には所謂「言論の自由」はそもそもないのです。
俯瞰すれば、北朝鮮にも自由はないのですから、朝鮮民族に「言論の自由」を求めるのは、八百屋で魚を売ってくれと言ってるのと等しいわけです。
もちろん、いまだに「戦時下」ということでもありましょう、しかし、隣りの中共政府も同じように「言論の自由」を封じているのですから、あちらの方々は統制する、統制されるのがよっぽどお好きなのだと思いますよ。
それであまり不便を感じないし、窮屈さもないのでしょう、王朝時代からこうした権力による統制に馴れてしまっている民族に対してこちらから自由を求めるのは、お節介なのかもしれません。
私たちは、こうした人たちが隣りに住んでいるんだということで感得するしかないわけです。

それに比べて、日本は自由すぎます。
左側の人たちは、何かと「政府による言論弾圧だ」などと騒ぎますが、いやいや貴方たちが大好きなお隣の方々からしたら鼻で笑われますよ、と言いたいです。
先日も書いたように、大新聞社がいくら歴史を捏造しようが法的制裁も受けるでもなく、当の記者たちだってお咎めはありません。
政府が「それは事実と異なるのではないか」と言おうものなら、「圧力だ」とメディアは反射的に批判しますが、その批判自体「言論の自由」が担保されている証左です。
自由を謳歌していると、いつの間にか自由とは何かという本質を見失うものです。
左の人たちも、本当の自由を感じるために、お隣で言いたいことを言ってみてどうなるのか体験してみてはどうでしょうか。
posted by 泥酔論説委員 at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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