2015年12月12日

仏社会、テロ暗い影 あす1カ月 続く緊張、極右躍進

12日朝刊6面【国際1】パリ=竹内康雄
 130人の死者を出したパリ同時テロは13日で1カ月を迎える。街では新たなテロを防ぐための厳戒態勢が続く。選挙では「反難民」など内向きな主張を掲げる極右政党が躍進。1年間に2回の大きなテロを経験した仏国民の萎縮が目立つ。仏社会を暗い影が覆っている。
 パリ近郊にある第21回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)の会場最寄りのブルジェ駅。7日夜、ホームの片隅で3人の警官がアラブ系の若者を尋問していた。「俺に何の問題があるんだ」。若者は身ぶりを交えてやるせなさそうに訴えた。通りかかったスペインの交渉官は「必要な行為だと思うが悲しい光景だ」とつぶやいた。
 同時テロの約10カ月前の1月11日。週刊紙「シャルリエブド」銃撃テロを受け、仏全土には表現の自由などフランスが育んだ価値観を守ろうと約370万人が繰り出した。だが今回はそんな動きはない。1月のテロの標的が週刊紙関係者やユダヤ人だったのに対し同時テロは無差別だった。仏国際関係研究所のエケー研究員は「一般市民もテロと無縁ではないと見せつけた」と国民心理を萎縮させたと分析する。
 過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)との「戦争」を宣言したオランド大統領。即座に非常事態を宣言し、数千人の治安部隊を動員した。強硬姿勢が好感され、支持率はテロ前より20ポイント増え50%に上昇した。
 だからといって国民がテロや難民対策に満足しているわけではない。6日投開票の仏地域圏議会選ではオランド氏属する社会党の得票には結びつかず、極右政党、国民戦線(FN)が大勝した。
 FNの躍進は仏社会の亀裂の深さを物語る。1月と11月のテロを起こしたのは、いずれも欧州の都市郊外に住むイスラム教徒の若者。十分な教育を受けられず、就職では差別され、社会に不満を持って過激思想に流れた。仏社会科学高等研究院のヴィヴィオルカ教授は「郊外に住むイスラム教徒と、それ以外の国民の心理的な距離は一段と広がった」と解説する。
 それでも希望はある。調査会社Ifopによると「イスラム教とテロリストを同一視すべきでない」と考える仏国民は67%と、同時テロ前から4ポイント増えた。FNが唱える「反難民」や「反欧州統合」は仏国民がフランス革命から築き上げた価値観と相いれない。内向きな志向を打破できるか、仏国民が試されている。


いわゆる保守的愛国主義が、欧米で台頭してきているのも当然でしょう。
彼らはISとの戦いを「戦争」と呼んでいるのですから、こうした戦時であれば国民は保守化しますし、自国のアイデンティティーを第一にするものです。
ですから、世論が保守的愛国主義を欲求してるわけですし、それに応える政治が主導権を握っていくことになるのは古今東西同じです。
例えば戦前の日本において、何も「軍部」が勝手に暴走したわけでなく、世論からの欲求に軍が応えただけだと言えましょう。
従って、こうした流れは加速こそすれ、止まることはないのですし、ISとの決着がつくまで暫く続くのだと考えます。

問題は、イスラムとの関係です。
もともと、キリスト教国とイスラムとの関係は十字軍を引き合いに出すまでもなく、お互いによろしくありません。
特に、オスマン帝国を列強で分割した近代の帝国主義時代以降、宗主国と植民地、あるいは先進国と後進国という心理的関係がいまだに残っています。
しかし一方で、安い労働力として旧植民地からのイスラム移民を受け容れ、すでに社会に組み入れてしまっている国もあり、国民内でイスラムか否かを差別しています。
かつてのユダヤ人差別の記憶がまだあるだけに、大っぴらに公言することは憚られていましたが、ここに来てイスラム差別を言うことが「本音」だとされ、それが世論に受けているのです。
彼らに言わせれば、テロを起こしているのはイスラムであり、これは自存自衛のためであるという理屈ですし、過去のユダヤ人差別とは問題が違うんだということです。
しかも、シリア内戦によって大量のイスラム難民が欧州に流入するに至り、経済そして社会に与える影響が決して小さくないどころか、その難民に混じってISに忠誠を誓うテロリストが、EUの致命的なセキュリティの穴をついて入っていたという事実が「本音」に説得力を与えています。
こうした事態ですと、冷静にとか、イスラムと対話でとか、いう暢気なお話ではなくなります。
ですからこの問題は、ISが壊滅したとしても欧米の深く、澱のように沈殿していくのではないか、と感じます。

イスラムとは、戒律の世界です。
雑な言い方をすれば、ムハンマドが生きた7世紀と同じように生きよ、それがイスラムだと言うことです。
同じように生きるためには、当時と同じ様式で祈り、生活し、働き、家庭を築くだけでなく、法律や政治、経済、社会、国家までも規定されます。
イスラムは政教一致と言われてますが、しかし政教一致の理想が実現されたことは歴史上一度もないともされてます。
何故なら、クルアーン(コーラン)どおりにやっていたのでは現実問題に対処できないからであり、「解釈」という逃げ道をつくって対応してきたのでしょう。
パーレビー国王時代のイランのように、欧米とイスラムとの融合をはかった時期もありましたが、ここ40年ほどはイスラム全体が復古主義に回帰し、最もヨーロッパ化したトルコですらイスラム至上を掲げはじめています。
だとすると、イスラムはイスラムで暮らした方がいいのではないか、無理矢理キリスト教国などに移住するより、イスラム世界で生きる方がよっぽど信仰の理想に近づけるのではないか、そう思うのです。
ややもすると、イスラムだろうがユダヤだろうが、なんでも欧米は受け容れなければならないかのような論調がありますけど、生き方が違う人たちに、ウチの社会に合わせろという方が難しいのではないでしょうか。
もちろん、欧米社会に同化するというのなら結構です、だがそれは何百万人という数字にはならないはずです。
ユダヤ人にように、第二次大戦が終了するまで「母国」がなかった人たちと違い、イスラムには帰る国があり家もあります。
まずは自国を建て直し、クルアーンが理想とする世界を創り上げていく、それがイスラムの使命ではないか。
皮肉なことに、若者がISに惹かれリクルートされるのは、理想のイスラム国家を自分たちで作るというお題目であり、それが暴力でしか実現できないという原理主義的な部分です。
これをイスラム自身が打破し、モデルとなるような平和国家を作らないと、ISのような勢力はいつでも何処でも出てくることになります。
posted by 泥酔論説委員 at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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