1937年の南京事件に関して中国側が提出した史料を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が記憶遺産に登録した。信頼性に問題があるとして登録に反対していた日本政府では、菅義偉官房長官がユネスコへの資金面の貢献を見直す可能性を表明した。自民党は部会などで分担金の支払い停止を求める決議を採択した。
ここは落ち着いた対応を求めたい。歴史問題をめぐる中国の動きには政治的、外交的な思惑がうかがえる。それを見極めないで短絡的な反応をすれば、かえって思うつぼとなりかねない。
南京事件では30万人が日本軍によって殺害されたと中国は主張している。今回ユネスコが登録した史料もそうした主張を裏付ける内容となっている。
これに対し日本国内では、当時の南京の人口などを踏まえて30万人というのは過大だとの指摘が多い。ただ、非戦闘員の殺害や女性への暴行など残虐行為があったことは日本政府も認めてきた。
ユネスコには世界遺産、無形文化遺産、記憶遺産の3つの遺産事業があるが、ほかの2つと異なり、記憶遺産には関係国が意見を述べて議論する場がなく、専門家らによる非公開の検討などに委ねられている。こうした手続きは透明性を欠くと批判する日本政府の立場には一理あろう。
制度に改善の余地があるなら、あるべき姿に変えていく努力は必要だ。だからといって、資金負担の見直しをちらつかせて主張を通そうとすれば、国際社会の理解を得ることはできないだろう。
日本政府として南京事件そのものを否定しようとしているとの印象を世界に与え、結果として中国に歴史に絡めた宣伝の材料を提供することになるおそれもある。
ユネスコの最大の資金分担国である米国は現在、パレスチナの加盟に反発して支払いを停止している。日本はそうしたやり方にならうのでなく、前向きな提案でユネスコの遺産事業の強化に力を注ぐべきではないか。
どうも日本では「国連信仰」のようなものがあって、何だか「国連」と付くと政治的に侵してはいけないものだという論調になりがちです。
これも戦後教育の賜物なのでしょう、しかしUnited Nationsという名のとおり第二次大戦の連合国が「国連」であり、実体は国際政治そのものなのですね。
安保理で常任理事国が拒否権を発動するのと同じように、国益と違うことが国連で行われていれば反対を表明する、これ当たり前の話なのです。
国際政治の場にあって、国益以上に国連を有難がるなんて倒錯した議論は聞いたこともありませんし、どの国だって広く国益のために国連加盟してるわけです。
今回の南京事件について言えば、これは明らかに中共政府による「歴史戦」です。
中国人というのは、長きに渡り「歴史」の意義と使い方を世界で一番よく分かっています。
いわゆる「正史」と呼ばれる『春秋』や『史書』など、膨大な「歴史書」と称するものを何故数千年間も遺してきたのか、それはそれぞれの王朝が自らの正統性を証明する唯一の手立てだからです。
例え共産党と言えども、過去の王朝に倣い「歴史」を作らねばならない、それが正統性を立証するからなんですね。
南京戦は、日本と国民党軍との戦いであり、当時の共産党は首都である南京城から敗走した国民党を批判してきました。
「南京事件」とは、人民を捨てて首都から敗走したという黒歴史を「大虐殺」に転嫁させようとした国民党の宣伝工作に過ぎず、実際、「事件」が事件化したのは東京裁判における国民党政府からの申し立てによってです。
ところが、中共政府が大陸全土を支配し、新王朝として確立し始めた頃から、朝日新聞はじめとする日本のメディアが盛んに北京へ過去の出来事を「ご注進」するに至り、「大虐殺」は価値ある「歴史」だとして彼らの「史書」に書き加えたわけです。
一方、「日中友好」を何よりも重んじたわが政府は、事件だ大虐殺だという騒ぎに暫く音無しの構えでしたが、小泉内閣の頃からでしょうか、このままでは大変なことになると、歴史教科書問題を契機に事実と事実でないことの峻別をしようします。
しかし中共にとっては、すでに「史書」に記録してしまったことです、歴史を書き換えろとは何様なんだ、というお話でしょう。
事実だとか証拠だとか、近代の常識や科学でもって正統性を証明する必要は一切なく、記録されたものが全てということです。
正史の原本は、皇帝に捧げられ王宮の奥深くに仕舞われますが、内容は木版印刷によって広く普く人々に読まれ、これが「歴史」ということになるのです。
ユネスコ登録も、歴史化という一つの作業だということを、もっと真剣に捉えた方がいい。
これに反対することは、前近代的な中共政治の専横を許さないと言うことであり、それに手を貸すユネスコへの批判となります。
過去には、米英が政治的偏向を理由としてユネスコから脱退したことすらあり、そんな危機の時に日本がユネスコへの資金提供と改革に大きな役割を果たしたのです。
国益剥き出しの国際政治において、「前向きな提案でユネスコの遺産事業の強化に力を注ぐべき」などという紳士の対応で、果たして「歴史戦」に勝てるのか、ということです。