2015年09月21日

内閣支持40%に低下 安保法「評価せず」54%

21日朝刊1面
 日本経済新聞社とテレビ東京は19〜20日、集団的自衛権の行使などを可能にする安全保障関連法が19日未明に成立したのを受け、緊急世論調査を実施した。安倍内閣の支持率は40%と、8月末の前回調査を6ポイント下回った。不支持率は47%で7ポイント上昇し、再び支持、不支持が逆転した。安保関連法の今国会成立を「評価しない」は54%で「評価する」は31%にとどまった。
  内閣支持率は安保関連法案の衆院通過後の7月に現在の安倍政権で最低の38%、不支持率は最高の50%になった。8月にいったん持ち直したが再び、過去最低に近い水準になった。
 集団的自衛権の行使に「賛成」は前月を1ポイント上回る28%で「反対」は2ポイント下回る53%。安保法の成立の前後で大きな変化はなかった。
 安保法成立について、内閣支持層は67%が評価すると答えたが、不支持層では3%にとどまった。男性は41%が評価、女性は23%だった。
 内閣を支持する理由を複数回答で尋ねると「国際感覚がある」が前月から11ポイント上昇して36%で最も高い。支持しない理由は「自民党中心の内閣だから」が48%だった。


”六〇年安保改定反対のデモはあまり理論的にスジの通ったものでもなく、参加者のほとんどは、いまは、「若気のいたり」として、イデオロギー的な継続性はもっていないようですが、当時の反対派の理由の一つは岸内閣が強行採決したことを理由に、「安保条約よりも議会民主主義の方が大事だ」ということでした。また、機密保護法に対する反対の理由の一つは、言論の自由を侵害するおそれがあるということでした。
これほど大事な議会民主主義と自由ですが、これを外敵から守るために血を流せるかというと、どうも返事が返ってきません。なかには降伏してもよいという議論もあります。自由と民主主義を守るために日本の国家権力に抵抗したと称する人々が、外国の国家権力となると、「命ばかりはお助けを」となる矛盾は、両方とも真面目な議論とすると、どうにも説明困難なものです。”

一昨日までの安保法案を巡る騒動についての識者コメントかとも思えますが、実は32年前に刊行された故・岡崎久彦大使の『戦略的思考とは何か』からの一節です。
奇しくも昨年10月に亡くなられた岡崎大使が、もし一連の出来事を見ておられたら、既視感と言うか、この30年間ですらちっとも進歩しない野党やメディアに対して呆れ返っていましょう。
この一節の後は、”おそらくは、いずれも、不真面目といって悪ければ、泰平の逸民の遊びの要素がある議論なのでしょう。(中略)降伏論についても、パックス・アメリカーナの下では「どうせそんなことは起らない」という楽天主義か、「どうせ自分が何と言おうと、安保条約も自衛隊もそのままで、いざというときは何とかしてくれるのだろう」という、それなりにかなり正確な見通しのうえに立った甘えのある議論だろうと思います。”と結んでいます。
岡崎大使の問題提起から30年、ソ連が崩壊し、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争から始まり湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、そしてISとの戦いやウクライナ紛争、極東でも中国の台頭や北朝鮮の核開発など国際情勢は大きく変動し、日本も日米ガイドラインの策定やPKO法、イラク派兵、有事立法、ミサイル防衛システムの構築など多くの安保改革をしてきました。
これだけ国際情勢や安保環境に大きな動きがあるにも関わらず、安全保障政策に対する反対論が相も変わらず一本調子なのは一体どういうことなのか、やはり今もって「泰平の逸民の遊び」なのじゃないかと思わざるを得ません。

一方で、戦争なんてのは起こらなければ何十年も起らないこともあり、事実、日本では70年間戦争が起きていません。
従って、安全保障法制が発動されるのは100年に1回かもしれない、そんな日々の生活からは程遠い法律を真面目に考えろと言われても考えられない、というお話もあります。
安保関連法の今国会成立を「評価しない」は54%で「評価する」は31%、という数字を見ていると、「経済対策や社会保障など、安保より先にやるべきことがあるのじゃないか」、という優先順位の問題なのかなという気もします。
これはこれで、無理からぬ所だと思います。
安保や増税は票にもならず、やれば必ず支持率が落ちますので、政府与党とすれば出来れば避けたいテーマですし、避けて通っても当面影響ありません。
ただ、岡崎大使も前述書で指摘しているように、先進的民主主義国は中央集権的国家に較べて、あまり軍事に重きを置かないので、有事の時に初動がどうしても遅れてしまう、それは第二次大戦時のイギリスのダンケルク、アメリカのパール・ハーバーの例を引くまでもありません。
しかし、多くの国民が納得する大義名分の下で、一度立ち上がってしまえば最後は必ず勝つと、チャーチルも言っているとおりです。
だから、平和な時に有事の議論しておいて国民の理解を得ておきましょう、準備もしておきましょう、というのが先進的民主主義国なのだということです。
今回、政府与党が至らないのは、こうした民主主義の特性と有事のプロセスの説明をすっ飛ばして、国際情勢のみで理解を得ようとした所だと思います。
民主主義や有事について政治家にとっては常識の範疇であっても、安全保障のような分野は国民に縁遠いもので、こうした一からの説明が必要なのでしょう。



posted by 泥酔論説委員 at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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