安全保障関連法案をめぐる与野党の最終攻防が延々と続いた。参院本会議での法案採決を先送りさせるため、安倍晋三首相の問責決議案や内閣不信任決議案などの決議案を野党が繰り出し、与党が次々と否定していく消耗戦だ。
最後は多数を占める与党が押し切るかたちで安保関連法案は成立する運びだ。日本の安保政策は極めて重要な転換点を迎える。
安保法制は大まかに2つの要素で構成される。ひとつは世界平和への積極的な貢献だ。2つ目は日本の抑止力を高めるため、日米同盟をいままで以上に強める方策である。集団的自衛権の行使の限定容認がそこに含まれる。
日本は先の大戦を引き起こした当事者という負い目もあり、あらゆる国際紛争から距離を置いてきた。この判断は間違っていない。しかし、戦後70年もたち、世界の日本を見る目は変わってきた。
日本は何もせずに平和がもたらす繁栄を享受しているのではないか。そんな世界の声に応えようと、1992年のカンボジアを手始めに国連平和維持活動(PKO)に自衛隊を派遣し始めた。
ただ、中身は道路補修など非軍事分野に限定してきた。今回の法整備によって、派遣部隊の近くで民間人がテロリストに襲撃された場合の駆けつけ警備などができるようになる。
こうした安全確保活動は、テロの標的になることの多い米ロのような超大国には不向きである。これまではスウェーデンなどのPKO先進国が主に担ってきた。日本もいつまでも「危ないことに関わりたくない」とばかり言ってはいられない。
安保法制ができると、いつでも自衛隊を海外に送り出せるようになる。しかし、国民の理解を伴わない派遣は政治的な混乱を招く。必要に応じて特別措置法を制定してきたこれまでに劣らぬ説明責任を負うという認識が必要だ。
冷戦が終結して四半世紀がたつが、東アジアの安全保障環境は残念ながら改善したとは言い難い。朝鮮半島は引き続き不安定だし、中国の海洋進出は日本を含む周辺国と摩擦を引き起こしている。
戦後日本は日米安保体制によって、外からの攻撃などの不測の事態に備えてきた。同盟を一段と強化するという方向性を否定する有権者はさほど多くないはずだ。
ただ、同盟強化によって何が変わるのかはわかりにくい。抑止力は失って初めて、その存在に気付くものだからだ。
米軍がフィリピンから撤退した途端、中国が南シナ海の島々を実効支配し始めた。こうした事例から日米の絆の重要性を類推するしかない。政府は国民に丁寧に説明しなければならない。
安保法制をどう運用するのかと同時に、首相の今後の政権運営のあり方も重要だ。法案審議の過程で、近年にない規模のデモが国会を取り囲むなど世論の強い反発があった。「これは戦争法案だ」との声も出た。
そう受け止めた人がなぜこれほどいたのか。安倍政権のどこかしらに危うさを感じさせる部分があるからだろう。
「戦後の安保政策は大きく転換する」、どのメディアもそう呼んでいますけど、例えばこれが日米同盟を破棄して日本が中立強武装化するとか言うのならば確かに大転換と言えましょうが、成立した法案自体はどれもこれも現在の安全保障体制の延長線上にあるものに過ぎません。
しかもあれだけ野党が大騒ぎした「存立危機事態」は、政府自らが設定した手足を縛る条件が厳しすぎて、本当にこれが発動される事態があるのかとさえ疑問に思うぐらいです。
大山鳴動というか、この程度の法案にこれだけエネルギーを注ぎ込むぐらいなら、もっと建設的な安全保障の話もできたのではないかと考えます。
そもそも論として、集団的自衛権がさも日本に初めて降臨したかの表現が世に多いのですが、日米同盟自体が片務的とは言え集団的自衛権そのものなのですから、違憲だ何だと言うぐらいなら、まず日米安保そのものを否定すべきじゃないでしょうかね。
このあたり、批判派というか反対派というか、その方々からの論理的なお話は寡聞にして聞いたことがありません。
いずれにせよ、法が施行され具体的な姿をみれば、「なるほど、こういうことだったのか」と多くの国民の胸に落ちてくるでしょう。
更に言えば、「廃案を目指す」「徹底抗戦」だと物騒なことを呼号してきた民主党など野党はどうなのでしょうか。
結局、政府与党ペースで物事が終始進められたわけで、「一日でも長く採決を引き伸ばす」という野党の作戦も昨夜から今朝の2時過ぎまで引き伸ばさせただけでした。
若者たちのデモが大きなうねりとなっている、1億の国民が反対している、などと胸を張ってるわりに、民主党の本気さが伺えないのです。
確かに、安倍首相は政権交代前の第一次政権時代より有識者を集めてこの問題の研究と検討を開始し、政権交代後の第二次政権が開始されると早速、公明党との協議を開始したり、野党のうち次世代など3党を切り崩してきたりと、かなり時間をかけ周到にそして慎重に事を進めてきました。
そこに強い意思と戦略があったのは間違いなく、正直言って民主党がつけ入る隙を全く与えてこなかった、そこに民主党は無力さというか諦めがあったのかなと思うのです。
本来なら、外交安全保障は超党派、特に与党と野党第一党とが合意形成していくのがあるべき姿なのでしょう、しかし民主党の席が最初から用意されていなかったのは、おそらく民主党といくら話をしても彼らは何も決められないという、過去の実績があるからではないか。
決める政治をモットーにしている安倍首相とすれば、民主党を前提にすると言うことは即ち「決めないことを決める」政治にしかならず、ならば相手にするのはよそうということだと思うのです。
その結果、民主党は「責任野党」を演ずることができず、反対のための反対を唱える「万年野党」化してしまった、これもモチベーションが低かった理由の一つなのでしょう。
同じことは、この法案を巡って分裂してしまった維新の党にも言えることです。
聞けば、民主党内の保守派だけでなく、岡田代表なども集団的自衛権を容認する考えだったようで、ならば「違憲論」などという議会政党として反知性主義的な思考停止に逃げ込まず、しっかりとした外交安全保障政策を掲げて国会で論陣張ったらと残念でなりません。
安倍首相のブレない意思と、本音が建前に負けた岡田代表との覚悟と矜持の差が、両党の立場の差になったのだと考えます。