国土交通省は茨城県で鬼怒川の堤防が決壊した理由を「水が堤防を越える『越水』や土壌に染みこむ『浸透』など、複合的な要因で起きた可能性が高い」とみている。
鬼怒川は栃木県の鬼怒沼を水源とし、茨城県を南北に流れる。今回はちょうどその上に帯状の雨雲が居座り、上流から下流までの広範囲が雨の影響を受けたという。
堤防の高さや強度は過去の降雨量を基にピーク時の水位を想定して決める。今回決壊した場所は10年に1度の大雨に対処できるよう、かさ上げ工事が計画されていた。
関西大の石垣泰輔教授(防災水工学)は「最近の気象状況の変化を受け、堤防の設計基準の見直しも必要になるだろう」と指摘している。
ご案内のとおり、日本は地震、火山、風水害など自然災害が多く、それと折り合いをつけてここまでやってきました。
しばしば、日本の公共事業費が他国と較べて高い比率だなどという批判がありますが、こうした災害に直面すると「なぜ行政はちゃんと対策してこなかったのか」という逆の批判もメディアから飛び出します。
「コンクリートから人へ」というスローガンも、それはそれで一つの見識だとは思いますが、被災した人たちに向けて「これからも我慢して下さい」と言えるのかどうか。
あるいは、公共事業をなくす代わりに、災害の時は国が金銭で補償しますからという考え方で、果たして多くの国民が納得するのか。
今のコンセンサスとしては、おカネより命だ、というのがまず第一なのではないでしょうか。
だからと言って、無尽蔵に予算をつぎ込むわけにもいかないし、コンクリートでガチガチに護岸を固めるようなことも賢明ではありません。
優先順位や予算のかけ方など工夫するのが、知恵であり政治なのでしょう。
10年に1度の大雨と言うのは、河川工学的には「ごく普通の大雨」程度だと言うことだと思います。
それ以上の降雨だったら、越水や破堤しますよ、という基準であり、近隣に住んでいる人たちからすると「ちょっと怖いよね」という話になります。
土木工学で、本当に安全だと言うのが1000年確率、あるいは2000年確率だそうで、東日本大震災を見ていると確かに2000年に一度ぐらいまで備えれば「想定内」と言えるのでしょう。
従って、10年確率というのが如何に脆弱なのかという基準に加え、その基準を決めているのが過去の降雨量であるため、最近の気象事情と乖離してきているのではないか、という疑念が設計基準の見直し論に繋がっています。
10年確率と思っていたのが、現実の降雨量では5年確率だとかに下がっていた、これだと頻繁に決壊してしまい、人が生活できなくなってしまいます。
しかし、設計基準を見直せば、当然に危険と判定される箇所が増え、それに対応する予算も増えてしまいます。
ですから、見直しの度合いも大変難しい。
そうなると、今までの「国が災害から安心、安全を担保してくれる」という国民のコンセンサスを変えていく必要があるのではないか。
例えば、自分の命と財産は自分で守る方策や、被害に備えて災害保険制度を充実させる、などの自立自存が求められていく、そんな時代になるのかなと思いますね。