為替の調整を通じて世界的な国際収支の不均衡を直そうとする1985年のプラザ合意で、日本経済は円高の大波にもまれた。日本に内需拡大を迫る米国、圧力を日銀に投げ渡す大蔵省(現在の財務省)。長引いた金融緩和や不動産マネーの制御の遅れはバブルの膨張と崩壊を招いた。その「バブル失政」を当局者の肉声をもとに検証した。
著者は通信社の解説委員長。80年代後半の大蔵省をはじめ日米の財政・通貨当局の取材に携わり、その経験と人脈を生かした。三重野康・元日銀総裁らが残したオーラルヒストリー、日米政府や日銀の内部記録、ボルカー元米連邦準備理事会(FRB)議長らとの個別インタビューから、意思決定の現場を再現した。
度重なる日銀の公定歩合引き下げ、邦銀の伸長をけん制する国際決済銀行(BIS)規制、不動産融資への総量規制の導入といった場面で「誰が、いつ、何を考えたのか」を掘り起こした。経済や市場の変調を感じながら適切な手が打てなかった政策当局者の弁明や反省の言葉もちりばめられている。
85〜90年の膨張期に絞った検証ではバブルの全体像は語れないかもしれない。だが、時を経てこそ入手できる記録や証言を丹念に集めた本書は30年前の日本の迷いを生き生きと描き出している。
やはり、バブル研究の決定版は総合研究開発機構(NIRA)研究会による『平成バブルの研究』(上下巻・東洋経済新報社刊)でしょう。
本書は様々な分野の研究者たちが、1980年から1999年までの経済、金融、政治、社会状況の学術研究をプロジェクトとして纏めたものあり、バブル形成から崩壊、そして「失われた90年代」までを総括しています。
編纂されたのが2002年と、バブル時代の生々しい記憶が残っているうちだったので、各種のデータだけでなくマスメディアの影響なども的確に指摘しているなど、大変興味深い所があります。
一方、軽部氏の『バブル失政』は当時の政策決定プロセスを証言者のオーラルヒストリーで綴ったもので、前述の『平成バブルの研究』と併せて読むと、いわゆる「バブル」とは何かというのが理解できると思います。
ただ、「バブル」現象そのものは、古今東西どこでも起こっているものであり、経済としては所与の現象だと思った方がいいでしょう。
そして、経済が過熱しそうだと分かっていながら、いろいろな事情で当局が手を打てずに「バブル」となるのも、これも当たり前だと思うのです。
逆に言えば、ちゃんと対策が打てて奏功していれば「バブル」にはなってないので、誰も「バブル」を認識することがないわけです。
従って、「バブル」自体を悪だとか失政だとか決めつけるのはメディアの悪癖ですし、著者が時事通信の記者だったという経歴からしても、いかにもという感があります。
私たちが考えなければならないのは、「バブル」をどう沈静化させていくかという事後の対処策ではないでしょうか。
失政と言うのならば、それは過度に「バブル」を潰した政策こそが失政であり、そこには「バブル」の最中に「バブル」を煽り、それが崩壊をはじめると「平成の鬼平」と言って「バブル退治」なるスローガンで加速させるマスメディアの果たした役割まで追及する必要があります。
当時の政策だけが悪かったというのは実に簡単ですが、それでは後世に何の教訓も残さないのは、戦前、戦中のメディアや社会の存在がないが如きの歴史研究と同じじゃないでしょうかね。